個人の繁栄は社会の繁栄。物と心の両面から幸せを底上げさせる組織開発とは

個人の繁栄は社会の繁栄。物と心の両面から幸せを底上げさせる組織開発とは

物と心の両面の幸せを追求し、社会の繁栄を目指した組織開発のコンサルタントとして各方面で活動中の鳥澤謙一郎(とりさわけんいちろう)氏。「皆が幸せ感を感じ、日本に貢献したい」という現在のビジョンを見出すまでの、挫折が教えてくれた“本当の幸せ”とは何か?とことんお聞きしました!

企業内の人間関係は、生産性・利益アップに繋がる

企業向けに、人間関係を良くして(心理的安全性を高める)、生産性アップ、長期利益に向上させることを目的とした、コンサルティングとワークショップ、社長コーチングを行っています。2008年に起業したので、起業して11年目です。

うちの父は公務員だったんですけど、親戚は皆自営業で会社の社長でした。何となくですけど自分でも小さい頃から、「自分でやるのかな」というような環境の中にありました。

高校卒業後、千葉の田舎から東京に出てきて、「東京ってすごいな」と思っていたのですが、アメリカに住んでいた親戚のところへ遊びに行ったとき、「アメリカ人の生き方もすごいな」と刺激を受けて、そこからやっぱり、“日本じゃなくて海外で大きな事業をしてビッグになりたい”と思いました。そういうような夢を見る、馬鹿な子供だったんですよ。でも挫折しました。アメリカから帰ってくる時、「日本で働くんだったら政治家だ!」と思いました。

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挫折の数々

22歳のとき、政治家の浜田幸一さんへ海外から手紙を出したんですよ、30年前に海外に行くって結構珍しかったせいか、秘書から電話があったんです。でも、自分が政治家としてどういう風に日本を活性化するかというビジョンがないんです。ただ単に、その位置にいたいだけ。で、また挫折しました。

その後、「イトーヨーカドーさんが伸びてるから、すごい勉強になるよ。」と情報をもらい、当時はバブルだったので、「じゃあ入ってやるか」みたいな感じで行きました。しかしそこでも“自分は何をしたいか”が何もなかったので、働いていても、やらされ感満載ですよね。自分の意志がないから。そして2年連続で昇格試験に落ちました。「もうこれ先がないな」と、何も考えずに辞め、挫折です。

鳥澤謙一郎

やっぱりビジョンがない

その後偶然運が良くて、バイトでリクルート100%出資のリクルートフロームエーに入りました。社員登用があって、バイトから社員になったのです。

その頃はバブルが崩壊して、サービスが売れなくなってきていたので、企業は売れる営業を求めていたんです。私は何もわからなかったのですが「俺の実力はこんなもんじゃないよ」と、根拠のない自信を持っていて、バブルのころの先入観もなかったので、結構売れたわけですよ。エリアは日本橋、京橋、銀座、有楽町でした。飛び込みもしましたし、夜は銀座のクラブに行くんですよ。

バイトから社員になったマネージャーが上司だったのですが、私を引き上げてくれて、年間最優秀営業マン賞をとりました。新規目標を達成した人は私しかいなかったのですが、たまたま運が良かったです。でもその時でも、やっぱりビジョンがないわけです。日本をこうしたいとか、ないわけですよ。

それでもリクルートの中で出向したり色々あって、17年間いたのですが、そんな時に母がガンになってしまいました。それまでは親不孝だったんですけど、母がもう死ぬと聞いた瞬間に親孝行したいなと思って、当時働いていた場所は名古屋だったのですが、東京のリクルートの代理店にリーダーとして入りました。

「日本を良くしたい」

その当時も、相変わらずビジョンもなく仕事をしていたので、リーダーから降格してしまったのです。そういった背景もあって、コーチングなどの研修を色々受けました。

たまたまあるセミナーで、マザーテレサを日本に連れてきたという方に、生年月日を聞かれて、「お前はサラリーマン合わない。日本を変えるとか、そんなことをやれよ。」と言われました。その時に皆が良くなったり、日本を良くすることをやるんだったら、リスクをとってでも事業をしようという風に思ったのです。

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その人の思いがわからないと、仕事はうまくいかない

五感を使いコミュニケーションするといつも目に見えないものが観え、相手に応じた対応が増えます。従業員の心が満ちるから、お客様に喜ばれるサービス・商品を創り出すと思います。貢献する幸せ、日本が永遠に繁栄することを思いコミュニケーション事業をしています。

ー 事業というのは何をメインでやられていたのですか?

管理職の研修です。営業は絶対必要だと思って、わけのわからない会社ですけど「リクルート出身の」と言って、電話でアポイント取ったりしていました。起業から2年ぐらい経って、そこから数年はその仕事でとりあえず食べれるようになりました。今は“組織開発”の研修等をおこなっています。一般的には、せっかく研修を実施しても元に戻っちゃうので、組織自体を変えなきゃいけない。お互いに考え方のベースを合わせるというものですね。

鳥澤謙一郎

昔は飲み会などで、仕事以外の話もできました。今はシステマチックになっています。ただ「やれ」といっても、「何でやんなきゃいけないの?」となってしまう。背景やその人の思いがわからないと、仕事ってうまくいかないなと。そういうのを補完するような形で、現在はサービスを提供しています。

「有難う」と言ってもらえることが、最高

ー 11年前と今ではどう変わりましたか?

自分は人間関係が全てだと思って起業しましたが、ビジネスで勝ち続けるには市場分析や勝つ戦略も必要です。“お客さんが本当の本当に何を悩んでいるか”、真意を理解、視座の高さは随分ついたと思いますよね。

ー お客さんの悩みは、10年前と今と結構変わっていますか?それとも本質的な部分というのは変わっていないですか?

本質的には変わってないと思うのですが、人間関係をより大事にするということが、結構増えてきていると思います。今、パワハラとかセクハラとか問題になっていますよね。実際、超大手商社でも個別支援サービスの仕事をしています。それは、私が起業して11年経っているという信用があるから注文をくれたと思うのですが、でもやっぱり昔はそういう問題なかったですよね。

「本当の喜びってどこにあるのかな」と考えた時に、私は自己実現じゃなくて、“利他”にあると思います。人に喜ばれること、有難う言ってもらっていることが、最高だと思っているのですね。それはやっぱり人間関係なので、それを分かり合うことによって、主体的になるし、組織が成長・繁栄すると思います。

人生を変えた、自動車事故

ー 過去に自動車事故で50針縫ったとか?

50針以上縫いましたね。たぶん100とか、ちょっとオーバーに言うと200針くらい縫っています。イトーヨーカドーを辞めた頃、千葉に戻っていて、先輩の家に遊びに行った帰りに居眠り運転をしてしまいました。信号赤で相手の車が止まっていて、後ろからぶつかってしまったのです。私の車は廃車。車見たんですけど、「よく生きてたな」と思うほどでした。相手の方は大丈夫でした。本当に運がいいなと思いましたね。

鳥澤謙一郎

その事故の借金でお金がなくなってしまったのですが、その時にたまたま先輩が「外人ハウスのマネージャーをやらないか」と誘われました。当時バブルが崩壊していましたが、外人は来てたんですよね。

ー “外人ハウス”というのは?

外人ハウスというのは、例えばオーストラリアやアメリカ、ヨーロッパの女性達に、一部屋を格安で貸すのです。二人で借りるのもOK、共同バス・トイレで、白金台にある大手の会社の元寮をアレンジしたものです。そこで「マネージャーをやってみないか」ということでマネージャーをやりながら、リクルートの電話営業をしていました。そこで、営業をマスターしたのです。1日何本電話したと思いますか?

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営業がうまくなったのは、電話をかけ続けたおかげ

ー 営業電話は100本とか200本ですか?

700本です。「リクルート」というと、電話をガシャンと切られちゃうのです。最初はトークも上手くなかったので、30秒でガシャンと切られていました。当時はリクルートの本社にお客様からクレームの電話が来ていました。営業が多く「業務に支障が出るから電話営業するな!」と(笑)。私も飛び込みした時にお客様から聞き、わかっていたのですが、電話営業してました。1日700本も電話していると、声のトーンで機嫌が良し悪しがわかるんですよ。

ですのでそれによって、お客様のタイプがアナログ(感情)型かデジタル(理論)型かに分けて、営業をしていました。商品は同じじゃないですか、だから営業マンで選ぶケースがあったりします。

アナログ(感情)型のお客様の時は、「そうですね、そうですね、そうですか」と全部共感して、声のトーンを合わせる。専門語でいうとペーシングですね。ペースが合ってくると、話してくれる。という部分が右脳タイプ。デジタル(理論)型のお客様の時は左脳を使い、「今このマーケットに対して、私たちはこういった専門性でやっている。同業、同職種の採用事例などがあるのでお届けします」などとアプローチしていきます。

声のトーン、タイプによって分けるというのを電話で出来るようになり、アポがとれるようになったのです。アポイントとれないと価値がないと思いながら、ずーっとやり続けました。それで相手の購買心理を理解しながら対応する営業がうまくなりました。

自分はどうなりたいか

ー ダメなやり方なのにずっと続けている人って実は多いと思うのですが、そういう人に向けて、アドバイスはありますか?

“自分はどうなりたいか”ですよね。私はそもそもやっぱりアポイント取りたいと思ったんですよ。電話してるじゃないですか、そこでやっぱり活躍したいわけですよね。アポイント取りたいと思った。じゃあどういう風にやればいいのかを考えて、PDCAをまわしたんですよね、僕の中で。

夢を持つというか、自分はこういう風になりたいというものがないと、ぐるぐる回っちゃいます。ぐるぐる回っちゃう人は、たぶん、手段が目的化しちゃう、電話すること自体が目的。でもこれはあくまで手段であって、契約じゃない。その目的とか目標が見えてないんじゃないかと思います。

鳥澤謙一郎

月曜日の朝がワクワクできるようにする

“皆が幸せになるように日本に貢献したい”という目的があってやる事業って、なんか自分のエネルギーが湧くわけですよね。幸せって何かというと、母親や父親が無償でやってくれていたわけですよね、色々と。でも皆それに対しての感謝を忘れがち。簡単なことって軽く見てしまいがちじゃないですか。そこにやっぱり幸せがあるかなと思っています。

今そういうところの積み重ねで、コミュニケーションがダメになっているかなと。そもそも話せない、話せても適当。そこを改善して、「前向きな気持ちで頑張ろう」「月曜の朝がワクワクする」「もっとこうしよう、ああしよう」そういう気持ちでやった時に より繁栄できます。甲子園の優勝チームは、目指す時に一致団結するじゃないですか。役割があって、目標を共有する。ああいうイメージですかね。

ー 単に県大会ベスト4を目指して頑張るのか、甲子園で優勝を目指して頑張るのかでは結果が変わりますよね。

それプラス、何のために、今、盛和塾に入っているんですけど、栗山米菓さんの栗山社長の紹介で入ったんですけど、支部は新潟なんですけど、私新潟まで行っているんですね。それはなんでかっていったら栗山さんがご紹介してくださったんで、入るんだったら栗山さんがいるところに入るだろうと、東京で入るのは違うだろうと。

最初誘われた時は。新潟までね、交通費かかるし、一日つぶれちゃうし、ダメだなと思ったんですよ。そしたら栗山さんが会うたびに結婚しろよ!と勇気がないとか耳が痛いことを言うわけですよ、しかし、栗山さんが「私の使命は妻を幸せにすることです」と言い実践し、そこまで言ってくれる人ってなかなかいないなと思って、その時に、私じゃあ盛和塾に入りますと。新潟に入りますと。

そしたら新潟の盛和塾は、世界で塾生が1万1千人で、約100塾くらいあるのかな。経営診断書っていうのを出さなきゃいけないんです、でも塾生が全員出しているのは新潟塾しかないんです、世界で一番モラルが高いと思います。

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前向きに、協力し合う社会を作りたい

やっぱり、月曜の朝が皆楽しくて、働く大人が生き生きしていると子供たちにも影響があります。私も親から一番影響があったのは、愚痴を言わずに一生懸命働いていたことです。入った高校がビーバップハイスクールみたいなところで、750人入学しても500人しか卒業しないような悪い高校でした。でも、父親とか母親が一生懸命働いていた背中を見た時に「俺も真面目に生きないと、悪いことはまずいな」と、思えたのです。

だからそういう大人が増えることって、社会にとってもいいことなのです。日本が繁栄することは、世界にとっても影響がある。そういういい組織、前向きで、皆が協力しあって、生産性が高くなる。

「追われる仕事」より「追う仕事」がいいですね。「私と会社」より「私の会社」の意識ですかね。仕事での大失敗や失恋をして辛いけど、悲しい時に明るく、全身全霊で生きている人を見ていると前向きになりますよね。そして、前向きになって協力しあう。他人が大事にしているツボを押さえ、地雷踏まず協力し合う。そうするとやっぱり、心地いいじゃないですか。そういうことが増えたら、日本は繁栄するかなと。そういうところに、貢献したいなと思っています。

鳥澤謙一郎

【略歴】
鳥澤謙一郎(とりさわけんいちろう)
トーリーコミュニケーションズ株式会社代表取締役

17 年間に渡る営業職の中で多様な価値観、考え方に触れる。自発的なコミュニケーションを探求してコーチングを学び始める。2006 年に出会ったコーアクティブコーチングで人間の在り方の大切さに気づき、より多くの方にエッセンスを簡単に分かり易く、普及したい想いを持って、社内でホスピタリティプロジェクトを立ち上げ、チームのモチ ベーションアップに成功する。2007 年に CTI ジャパン応用コースを終了、2008年起業した。現在、日本の物心両面の幸せを実現し、人類、社会の進歩、繁栄をするために組織開発コンサルタントとして活動中。

トーリーコミュニケーションズ株式会社