他人が行かない方へ舵を取る。異才のヘアアーティストの経営指針とは?

他人が行かない方へ舵を取る。異才のヘアアーティストの経営指針とは?

数々の賞を獲得し、理美容業界の第一線で活躍するだけにとどまらず、飲食業や不動産業でも成功を収める、異才のヘアアーティスト「ル・パッチインターナショナル」オーナー、中谷嘉孝(なかたによしたか)さんに、その卓越した技術と経営の秘密をとことん聞き取りました。

小さなお店ひとり勝ちの秘密

全国チャンピオン、モンドセレクション3年連続金賞。その背景

職業を聞かれるのが一番困るんですけど(笑)。一応はヘアサロンが一番本職に近いのかなと思いますが、あとはここから徒歩1分ほどのところで「プルプル食堂」というラーメン店をやっているのと、不動産関係では女性専用のマンションですね。それから今、若返りに特化したエステサロンを作ってる最中です。

― 全国チャンピオンとか、モンドセレクション3年連続の金賞とか、ものすごい経歴ですけど、その背景にはどんな努力があったんでしょうか?

実は今回ご紹介いただいた『小さなお店ひとり勝ちの秘密』という本の前に出した、処女作の『あの小さなお店が儲かり続ける理由』という本の中で、今までやってきた経緯を時系列に綴っているのですが、実際はそんなに努力なんてしてないんです。

バブルがはじけて2年くらいの時期に最初の店を出したのですが、時間の経過とともにだんだんジリ貧になっちゃって、いろいろ考えて安売りをやったり、キャンペーンやったりしてました。それもパッとしなくて、何かタイトルでも獲れば忙しくなるだろうって、それでとりあえずトライしたら「あら?優勝しちゃった??」みたいな感じなんです(笑)。

他人がやらない方向へ進む

― 最初にお店を構えた場所っていうのも浦安ですね。

はい、最初はフランチャイズの雇われオーナーでした。3店舗をやってたんですけど、15年くらい前にそれを後輩に譲って、小さいですけどようやく、ここに自社ビルを建てることができたんです。

― 美容の世界に入ってから賞を獲るまでには、どのくらいの年月がかかったんですか?

全国大会で優勝したのは29歳の時だったんで、10年くらいでしょうか。特別、早いわけでもなくて、獲る人はだいたい10年前後で獲りますね。この世界は36歳、37歳あたりが技術のピークって言われてます。歳とると感性も鈍ってきちゃいますから、30歳前後が一番獲りやすいみたいです。もちろん24、5歳の若さで獲る人もいますが。

中谷嘉孝

― チャンピオンになられた後は思惑通り、ガラッと変わったんですか?

いえ(笑)。実は優勝を宣伝の材料に使っちゃいけないという変な制約があって…。でも優勝しちゃって火ダネが点いたのは確かなので、あとはどう燃え上がらせようかって感じでしたね。業界の常識的に、王道を進む人たちは世界大会を目指したりするんですが、僕は逆にパリコレのヘアメイクだったり、常々、一般ウケの良さそうな方向を目指しました(笑)。

1位でなければ意味がない

― ここに美髪とか美肌とか、いろいろ自社商品がありますけど、こういった商品を開発しようと思ったきっかけはなんですか?

あるメーカーさんのインストラクターをやってた関係で、当初はそこの商品を使ってたんですが、業界の流通システムは驚くほど古く、サロンはどうしても利幅が取れないんです。それなら、この商品のパフォーマンスを超えるものを自分たちで作ってしまおう!と、5、6年前に始めたんです。相当冷や飯も食いましたが、ありがたいことに、自社商品としてリリースしてから3年連続でモンドセレクションで金賞を獲ることが出来ました。

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― 開発してわずか3年目から3年連続でモンドセレクションの金賞ですか!そう簡単に獲れるものじゃないですよね。全国大会でチャンピオンになるというのも、結局、だれかの審査があって認めてもらう。モンドセレクションもだれかの目を通して評価される。美容も自分がよくできたと思っても、お客さまが満足してくれなければ、まるで違った評価になってしまう。そうやって、納得してもらったり、認めてもらうために、特に気をつけている部分はなんでしょう。

コンテストでいうと、僕は自由なデザインを作る「フリースタイル」という部門で戦うことを選びました。コンテストにはだいたい傾向というのがあるんですが、僕はそういう傾向には乗らないで、ある種バクチなんですけど、周りの傾向とまったく違う作品を作ります。おおかたの傾向の中で評価される作品もあるし、斬新さが評価されることもあるんですが、僕は後者で、このモンドセレクションも実は何としても金賞を獲るために、パッケージの文字を金色にするとか、商品はゴールドエッセンスっていう名前にするとか、ディティールにまで徹底的に策を尽くしました。そこまですれば間違っても銀賞なんかには落ちないだろうと(笑)。

もちろん、品質が第一ですけどね。そのレベルまでいけば、あとはどうやってたぐり寄せるかって、執念みたいなもんなんですね。コンテストは所詮2位の銀賞では負けであって、金賞でなければ意味がないんです。富士山のことはみんな知ってても、2番目に高い山は知らないですから。

― そうは言っても、なかなかそこまでたどり着く、たぐり寄せるっていうのは難しいと思うんですが、日々の生活の中や、お客さんと接するうえで気をつけている、意識していることはなんでしょうか?

例えばうちのヘアサロンには「健康で美しい髪を創る」というミッションがあります。やはりそのミッションに対して責任を持たなければいけないということは常々、意識していますね。要は、そのための研究であるとか、なんとしてでもキレイになって帰ってもらうためにどうすればいいのかということをいつも考えています。研究にはお金がかかるし、薬事法とか、いろいろ障害もあるんですけど、軸をブラさないというのが結局はいちばんの近道なんだと思いますね。

モンドセレクション

理不尽な競争は避けて

― 話が飛ぶんですけが、なぜ、ラーメン屋さんなんですか?

はい、実は今の『プルプル食堂』という店が2店舗なんですけど、以前異業種交流会とかで一緒に勉強していた仲間の一人が、ある日突然ゼネコンの現場監督をやめて、親の経営していたラーメン屋を継いだんです。最初は3店舗くらいだった店が、3年後に会った時にはおよそ30店舗にまで増えてて…。

それで一度食べに行った時、この味を浦安に持ってきたら面白いなと思ったんです。まあ最初の店は思うように利益が出なかったんですが、いい店長さえ見つければ絶対イケるという感触がありました。そのタイミングで美容関係の友達から今の店長を紹介されて、それじゃあもう一回勝負しようと。

― だいたい異業種に手を出すと失敗するケースが多い。それを軌道に乗せた秘訣はなんだったんですか?

本質を突いたことです。最初はやっぱり小手先で流行を追おうとしてましたね。ヘルシーブームの真っ只中、ちょうどベジラーメンとかが流行ってた頃でした。ただ、何か違うなって思ったんです。お腹を満たすのが食事だとしたら、外食の定義は心を満たすこと。野菜はあくまでも名脇役であって、ご馳走というのはやはり肉と魚なんですよね。焼肉やお寿司は食べに行こうってなるけど野菜を食べに行こうとはならないじゃないですか。そんなこんなで皆と延々話し合った結果、「うちは肉で勝負しよう」ってことになりました。

以来うちはラーメン屋とは名乗らずに焼豚専門店というカテゴリーで勝負してます。「焼豚屋なんだけどラーメンもあるよ」ってスタンスですね。その結果どういう現象が起こったかというと、ラーメンに対する悪評が出ないんですよ。まぁラーメン屋じゃない店のラーメンをケナしても、お門違いですしね(笑)。それで気付いたら食べログのラーメンランキングで1位になっちゃってました(笑)。

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実はラーメン屋って名乗っちゃうと、やたら理不尽な競争に巻き込まれるってことが読めてたんです。麺がどうの、かん水がどうの、かえしがどうのって、にわか専門家みたいな輩に言いたいこと言われて…。当然スタッフだってモチベーション下がりますよね。細麺好きな人はハナから太麺を認めないし、薄味の好きな人は濃い味を認めないじゃないですか。そんな理不尽な場所で戦いたくないんです。だからウチはラーメン屋じゃなくて焼豚専門店。でもダントツの一番人気はラーメンなんですけどね(笑)。

店の中が人生です

― 美容室の話に戻りますが、完全に会員制とか、coming-soonとかいう新しいシステムの導入だったりで、やはりふつうの観点と違うなと感じるんですが、その目線はどうやって意識したら生まれるものなんですか?

仕事で朝から晩まで店にいるわけですから、サロンは僕たちにとって人生のステージなんです。ゆえにまずは自分が居心地が良いと感じられる空間にしたかったんですよね。そして一度きりの人生、かけがえのない時間をせっかく共に過ごすなら、大好きな人たちだけと過ごしたい…。それならこれは会員制しかないと…。

― 新たにエステサロンを準備中と伺いましたが、どういったコンセプトを考えているんでしょうか?

若返りに特化した専門サロンで、店の名前は「A・NO・KO・RO・NO・KI・MI」です。アンチエイジングとタイムスリップを重ねて、身も心も「あの頃の自分」に戻れる昭和テイストの空間ですね。

ANOKORONOKIMI

― マンションも女性専用ですね。その発想も面白いですよね。

女性にとっての夢のお城は、どういうものなんだろうと女性になりきって考えましたね(笑)。風の通るロフトや、広々としたウォーキングクローゼット、対面キッチンに浴室乾燥機など、「こういう部屋に住んでみたい」が詰まってます。

王道を行く気はありません

― 美容技術のほかに経営の勉強もされたと思いますが、どういう視点で勉強を選択されるんですか?

その時の縁のようなものもありますね。異業種の仲間が集う勉強会はずいぶん役に立ちましたし、その当時の仲間も貴重です。若かったし、楽しかったです。

― 一緒に学べて切磋琢磨できる仲間や環境は大切ですよね。それでも、全員が結果を出せるというわけじゃないと思いますが、その差ってなんでしょう?

さあ、他人のことはわからないですけど、僕は勝てない勝負はしないと決めています。周りからは案外イケイケに見えるらしいんですけど、けっこう慎重なんです。ラーメン屋やるぞって言ってから2週間で物件決めてきたから、やっぱりイケイケだと思われましたけどね(笑)。

― 美容、エステは女性相手の事業ですが、そういう要望とかニーズの見通しはどう判断されてましたか?

う~ん、ヘア産業は今、斜陽産業なんですよね。飽和状態なんです。例えば、ただ髪を短くするだけなら1000円あればできるじゃないですか。だったら、人はどこにときめくんだろうって考えたら、やはりミラクルな分野なんだろうと。痩せるとか若返るとか、髪が生えてくるとか、そういうときめきのあるところに、お金は落ちるんです。本能が求める価値ですから。ゆえに今後は、その「ときめき」をどう生み出そうかと考えています。

中谷嘉孝

― よく「ズラす」という表現を聞くんですが、中谷さんのコンセプトも、王道の美容室からちょっとズラした印象があります。そう意識されてるんでしょうか。

確かに、王道を行く気はありませんね。「ズラす」っていう言葉がふさわしいかどうかは判りませんが、王道を極めたところで所詮はヘアサロンの採算性構造を変えることはできません。チャンピオンですから勿論カット技術にもそこそこ自信はありますが、それを売りにしちゃうと、お手並み拝見的な面倒くさいお客ばっか増えちゃうんです。

もう駆け込み寺みたいになっちゃって(笑)。ダメなとこも含めて、うちの店を愛してくれる優しいお客様だけと肩の力を抜いて付き合いたいんですよね。所詮は経営なんて、良いお客さんがいて、良いスタッフたちと、心地良い空気感の中でやっていれば、自然と上手くいくように出来てるんだと思うんですよ。

他人がやらないことを、しつこく徹底的に

― 最後に、今後の展開、抱負をお伺いします。

とりあえずは、作りかけてるエステサロンを仕上げることですね。あとは、ヘアサロンとラーメン屋の伸びしろがそろそろ限界値に来てるので、これを改革しないと。ヘアサロンではPB商品によるサロン外収益。ラーメン屋も、13席の小さな店なので、やはりテイクアウトによる店外収益を伸ばしていきたいと考えています。どちらもせっかくタイトルを獲ってるので、どうにか全国展開できればと思ってます。

― そうやってたくさん賞を獲って、次々に事業展開するっていう、中谷さんのいわゆる勝ちパターンって、一言で言えばなんですか? 

とにかく、他人がやらないことをやる、それも「ここまでやるか」ってところまで徹底してやるということに尽きると思います。

中谷嘉孝

【略歴】
中谷嘉孝(なかたによしたか)
Le.Patch INTERNATIONAL【ル・パッチ インターナショナル】オーナー

1967年、香川県小豆島生まれ。1996年のヘアコンテスト全国大会で、初出場での優勝を達成し、日本初のクールビズヘアを発表、ミラノコレクションに参加するなど、理美容界の第一線で活躍。現在は完全会員制サロン、女性専用アパートを経営し、若返り専門サロンの開業を準備中。その一方で、セミナー講師や執筆など活動は多岐に渡っており、2012年には飲食業にも進出している。
著書に「あの小さなお店が儲かり続ける理由」(クロスメディア・パブリッシング)「小さなお店ひとり勝ちの秘密」(クロスメディア・パブリッシング)がある。

ル・パッチ インターナショナル WEBサイト