30億円の負債から帳簿作成代行サービスの展開。そして人生リベンジ倶楽部へ!

30億円の負債から帳簿作成代行サービスの展開。そして人生リベンジ倶楽部へ!

今から30年前には誰も思いつかなかった、記帳代行(帳簿作成代行)というニッチなサービスに目を付けた今瀬保男(いませやすお)さん。開業後の30年間で延べ6000人もの顧客を持ったという集客法は、当初はネットではなく、コツコツと自分の足を使うことでした。その理由は、30億円という多額すぎる負債を背負った、過去からの教訓なのかもしれません。どん底から始めた仕事をきっかけに、ご自身の生きる活力も見い出したといいます。歩んできた壮絶な道のりを、とことんお聞きしました!

今瀬保男

個人事業主の味方・相談型・記帳代行(帳簿作成)

現在の仕事の内容は、個人事業主の方を対象に相談型・記帳代行(帳簿作成代行)をしています。送って頂いた領収書を帳簿に作成してお返しするというサービスです。さらに、入会したお客様は、無料で 人生相談含む、色々な相談が出来ます。
お客様は
・どちらかというとインターネットになじみのない方
・あまりコンピューターが得意ではない方
・地方に住んでいてネット環境が少ない方
・とにかく分からない所を色々質問をしたい方
など多様です。

最初は何処がわからないのか見つける

個人事業主のお客様の中には、起業したばかりで「何処がわからないのか、わからない」という方もたくさんいらっしゃいます。ですから御依頼を頂く前には、とことんカウンセリングを行うのです。簿記の勉強をされている方以外は、経理処理は不得手ですからね。カウンセリング終了後は、「何処がわからないのか、わかった」と言われる事が多く、お客様の「満足感」がハッキリと顔に出ます。

お客様は北海道から九州まで全国に

お客様は北海道から九州までいますが、特に東京を含めた関東6県は、可能な限りお会いして、説明をします。車で往復500キロなどと言う場合も、ざらにありますが、開業当初の年間6万キロ走破から比べれば楽なものです。遠方は電話でのカウンセリングになりますが、3時間でも4時間でも、ご質問がなくなるまで徹底的にやります。

今瀬保男

そんな当社のかなり個性的なサービスをお探しになっている方は、北海道か沖縄まで何千人もいます。そんなお客様と、どうやって巡り合うかが、ビジネスとしては一番難しいところですね。

売り込みを止めて、口コミへ

10年位前から、お客様への売り込みは一切やっていません。新規受注は100%口コミでの契約です。既にサービスを御利用になっているお客様から、新規のお客様を紹介して頂きます。当社の良い所も悪い所も、全て説明して頂いての御紹介ですから「ここまでやってくれると思っていたのに!」というミスマッチは全くありません。

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さらに、ご契約の前には「こういうサービスは出来ます」という長所と「こういうサービスは出来ません」という短所を、一番時間をかけて説明します。その上で御契約を頂きますから継続率は抜群にあがります。「紹介して良かった」「入会して良かった」という言葉を聞くと嬉しいですね。

開業当初の営業は超アナログ

開業した頃ははネット業界も、あまり整備されていなかったので、アナログで地道に営業をしました。それに加えて、前職の父の会社で、私は営業を担当していたこともあり、対面営業には絶対的な自信があったのも大きな理由ですね。最初は保険外交員のための記帳代行(帳簿作成)サービスとしてスタートしました。

法律の改正もあり会員数も増えて「そのまま調子よくいけるかな?」と思っていたら、個人情報保護法の成立の影響で、訪問販売が厳しくなり、保険外交員のお客様が段々少くなってきました。それで、他の職種の個人事業主さんの記帳もお手伝いさせて頂くようになりました。今から10年位前にホームページを開設、北海道から九州まで、ネツトで御依頼頂くケースも、それからは確実に増えてきました。

20年、30年の長期取引に

当社のような相談型・記帳代行(帳簿作成代行)の会社は、全国でも殆どありません。だから一度契約して頂くと継続率は、ほぼ100%ですね。お仕事を辞めるまで取引して頂けるので20年、30年の長期取引の、親戚の様なお客様がたくさんいるんですよ。基本は、目の前のお客様に対する、毎日の細かい丁寧なサービスです。そこで信頼を得ることですね。そうすれば、御紹介が自然に増えて、お客様が少しづつ確実に増えていきます。

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相談型・記帳代行(帳簿作成代行)サービスを始めたキッカケ

大学卒業してすぐ父の会社に入りましたが、30歳の時に父の会社が負債30億で倒産。そして晴天の霹靂で再建社長に指名され、苦闘の末、奇跡的に7年で再建計画は完了することが出来ました。しかし、その間に地元の茨城や近県に跨る「常磐高速道路」も完成して、流通網は画期的に改善され、地方も凄く便利になってしまったんですね。だから地方の小売りと卸(問屋)を兼ねたような中間商社は、お客様にとっての存在価値がなくなってしまったんですね。

せっかく7年間の苦闘の上に、再建計画は終了したのにと、気持ちの張りも失い、苦悩の日々を過ごしました。そこから、さらに3年が経過して、丁度40歳になった時に、再建計画終了後に立ち上げた会社を整理して、現在の事業をスタートしました。

今瀬保男

法律の改正で得たチャンス

倒産した父の会社では、オフィスコンピューターを使っていて、それが東芝さんのものだったんですねその関係で、東芝さんの方から「実は法改正があって、個人事業主も帳簿をつけなくてはいけなくなった。こんな経理システムのソフトがあるのでやってみませんか?」というお誘いがありました。

私は本来新しいもの好きで、普段だったらパクッと飛びつくんですが、今回だけは「これは人生最後のチャンスだ」と思ったので、珍しく時間をかけて3ケ月近く検討してから決めました。

目論見が外れて通帳と睨めっこ

でも始めてみたら最初全然お客様がとれなくて、「おかしいな~」と毎日毎日、残高が少なくなってしまった通帳と睨めっこです…。そのうちに保険会社から「記帳代行(帳簿作成代行)の説明会をしませんか」とお誘いがありました。

何回か説明会をしていたら、次々と問い合わせが相次ぎ、そのうち月末には、翌月の予約は全部埋まっていくようになったんです。さらに3〜4ケ月たつと、怒涛のように契約が増えていきましたね。そのお客様が柱になって、会社は安定して動き出しました。当時「保険の外交員さん」は保険業界全体で50万人位の方がいましたから、いくらスタッフを増やしても間に合わないくらい、毎日毎日契約が入りました。

今度は法律の改正でピンチに

数年後に、契約が急にペースダウンしてきました。それは新しく施行された、個人情報保護法の影響です。保険業の訪問販売という営業手法が難しくなってきました。お客様の会社の中にも、パッと簡単には入っていけなくなったり、マンションがオートロックになり、インターフォンを押しても中々奥様とお会いすることが出来なくなったり、様々な影響が出てきていたんです。

法律の改正だから、いたしかたありませんが、当社の業績にも影響が出はじめて、「これはまずいぞ」と思い、他の業種の個人事業主の方にも手を広げていきました。当社で作成しているのは単式簿記の帳簿ですので取り扱っている職種も「技術職」をされている方が殆どなんです。それで美容師、漫画家、作家、画家、俳優、歌手、タクシードライバーや建築関係の色々な専門職などの、お客様が増えていきました。

創業時の思惑と巨大コンピューター

でも30年前に新しい会社で再起をしようと思っていた時、最初はコンピューターのソフトの販売をやろうと思っていたんですよ。コンピューターの専門知識は持ち合わせていなかったのですが、これからの時代は、どう考えてもコンピューターの時代だろうと。それに関連する仕事をやりたくて、親しい東芝の担当者に相談したら、「そこはプロじゃないと無理だからおやめなさい」と言われました。

「その代わり、経理はどうですか?」と勧められたのですけど、当時はコンピューターが、やたら高いんです。巨大戦艦のようなオフィスコンピューターを買わなくてはいけないのですね。1セットでソフトを入れて1300万円くらいですね。クレジット会社を紹介してもらって購入して、創業期から10数年はそれでやっていました。最初は記帳代行(帳簿作成代行)なんて言っても誰も知らない、説明してもわからない、私自身もピンときていない状態でした。(笑)

30億円の負債を背負った経緯

30億もの負債を背負った経緯は、ひと時も忘れた事はありません。父の会社は同族会社で、印刷会社を対象に、印刷機械、製本機械、製版機械・印刷材料などを売る商社でした。無一文から始めた会社も、バブルの恩恵を受け、売上高は県内のシェアが60%までに成長、ほぼ寡占状態で借金も少なく、まずまずの内容でした。しかしバブル景気に踊らされているうちに、経営はだんだん緩んできたんです。

元々はコツコツ固くやっていたのですが、バブル景気で、実力以上の成果が出たことで、経営陣が都合の良い理論のすり替えをはじめました。創業当初のコツコツ経営という経営方針は、何処かに行ってしまい、自分達の能力があったから会社を成長させたんだと、都合の良い解釈をし始めて、地道な努力などスッカリ忘れ暴走しました。

今瀬保男

当時かなり高額な機械の販売を頼んできたメーカーがありました。「お宅の会社が代理店になってくれれば、高額なマージンを出します。」という超甘い話で、それに飛びついてしまったんです。元々コツコツ固くやってきて成果を上げたことを考えれば、ここで「おかしい」と気づかなくてはいけなかった。そのうちに曖昧な取引が発生して、多額の焦げ付きが発生、そして負債30億で父の会社が倒産。「商法上の会社整理」という、今で言えば民事再生法の様な、法律の適用を受けることになりました。

再建社長指名から逃げきれず

その後、150社500名の債権者が参加しての第一回債権者会議が行われたのですが、心の奥底では「どう考えても再建なんて無理だ、もう破産してくれ」と思っていました。再建社長の選考も難航して、結局、消去法で私が指名を受けざるをえないことになったんです。

青天の霹靂での再建社長指名に「逃げてしまおうか」と考え悩みましたが、親身に相談に乗ってくれていた債権者の1人から「とりあえず自分の利害は外しなさい。今個人として何ができるかを考えなさい。」と言われて心の整理がつきました。
誰にも言いませんでしたが「とりあえず、10年だけ、やるだけやってみよう。」と心の中で期限をつけて、再建社長になったんです。

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野良犬の様に飲み屋街を徘徊した3年間

そこからまた色々あるのですが、再建計画は奇跡的に7年目で完了。しかし水戸市内に2000坪あった土地も一坪も残らず売却し、会社も私も満身創痍で疲弊した状態での再建完了です。さらに再建したと言っても、信用は直ちに回復するわけではないんですね。再建はしても、過去に倒産したというキャリアが、ボディブローのように、効いてきました。

せっかく苦闘の果てに7年で再建計画は完了させたのにと、唇をかみました。自分を見失い、毎晩飲み屋街へ逃げこみ、殆ど野良犬のような状態で深夜まで徘徊。湧き出てくるのは父親への恨み。「なんでこんなことに俺を巻き込んだ?俺が何をした?あんた達がやったことだろう?」と、恨み続けました。そんな時間が3年も続きました。

許せなくてもいい、恨むのは止めよと天の声

でも恨んでいては先に進めないんですよね。恨んでいると自分も返り血を浴びるので、こちらの心も傷だらけになんです。そして心身ともに疲れ果てたある夜、声にはなりませんでしたが、「もういい、もう十分苦しんだ」「もうこれ以上は出来ない」と心の中で呟きました。

すると「許すことはできなくてもいい、でも恨むことはやめなさい」と、体のどこからか声がきこえてきたんです。何かテレビドラマのようですが、ちょうど40歳の誕生日の夜でした。すると、どんよりとした雲に覆われていたような自分の心が、一瞬で晴れた青空の様になり、不思議なほど心が落ち着きました。そして少しの迷いもなく、再建が完了して新しく起こした、まだ3年しかたっていない新会社の整理することを決意しました。

私の手で跡形もなく消滅させた

創業して30年目に、父の会社は負債30億で倒産。再建会社がスタートして再建完了までに7年が経過。再建完了後に、再起を図って新会社を設立して3年。創業以来40年目で「いませ商事」を私の手で消滅させました。自分の力は出し尽くしました。1ミリの後悔もありませんでした。

どん底の底に落ちて助かった

倒産してどん底に落ちた位では、努力もしないで、甘い夢ばかり見ている、いいかげんな性格の私の根性は治りませんでした。しかし7年間の再建計画が完了した時から、想定外の新会社での苦闘が始まりました。

落ちて、落ちて、落ちて、どん底だと思っていた所よりさらに底に落ちたとき、初めてわたしの性根がなおったんです。「本当に自分は才能も力もないんだ」と心から納得できたんです。すると「どん底の底に落ちた」はずなのに、不思議なことにホッとした気持ちになりました。底がみえない深井戸に落ちたような、とどまる事のない恐怖感から解放されて、もうこれ以上は落ちなくていいんだと、安心できたんですね。
「どん底の底に着いたんだ」そう思えた時でした。

人生の反転攻勢始まる

その時が40歳、それから60歳になるまでの20年間は無我夢中で働きました。どん底の底まで行くと、それ以上落ちないから、こんどは不思議と、自然に底から少しづつ上がってくるんですよね。人生の反転攻勢の始まりです。それからは集中して、もうこれ以上出来ないと言えるぐらい無中で働きました。「ゾーンに入った」とでも言うんですかね。そんなこんなで、あっと気が付いたら、もう60歳になっていました。

今瀬保男

人生相談をはじめたキッカケ

現在の記帳代行会社での20年間で、お客さんと密接に関わっているうちに、人生相談もするようになったんです。夜の8時に仕事が終わってから、片づけをして、夜の10時頃相談の電話がかかってきます。「子供がグレちゃって」「夫婦げんかが絶えない」「明日ヤクザが乗り込んでくる」など、それが個人事業主さんばかりです。それがどんどん増えていったので「どうしたものか…。」と思ったのですけど、でもこれだけ腹を割って話してくれるんだから、本格的にやってみようと思いました。

人生相談サイト(人生リベンジ倶楽部)を作って相談を受けたり、外部のサイト(悩み辞典)に回答者として登録して、人生相談を受け始めました。

人生で初めて味わえた「達成感」

あるとき高校生から相談がありました。学校でいじめにあっていて、「もう死にたい」と。その相談にのってあげたら、「話を聞いてもらって心が楽になりました。」「明日から学校に行って頑張ります」とメッセージをもらいました。そのとき全身に電気が走りました。

気が付いてみると、今まで私は、波乱万丈の人生を生き抜くために「自分のことだけ」「自分が楽になるために」ということだけを考えて生きてきたのです。それが「こんな私でも人の役に立つことができるんだ!」という達成感を人生で初めて味わえた。「俺の生きる場所はここだ!」と心の中で叫びました。それからは「誰か困っている人はいませんか?」と自分から積極的に動くようになりました。

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「超意欲的な前期高齢者」で絶好調!

人生相談はボランティアですから、ビジネスとは全く関係ありません。しかし人の役に立つことで自分が前向きに生きる力がどんどん湧いてきます。60歳までの人生は、失敗や苦労の多い人生だったと不運を嘆いた時期もありました。しかし人生相談を始めてからは、その失敗や苦労の経験が、相談者にアドバイスをする時に、大変役に立つんです。

さらに年を経て、色々な人生経験をしていることも相談者とのコミュニケーションには、おおいに役に立ちました。また息子の厳しい指導で、55歳くらいからインターネットを使えるようになり、加齢で弱体化していた創造力もかなり補填できるようになりました。

いま相談型・記帳代行(帳簿作成代行)でお客様のお役に立つことで、個人事業主の応援団をしています。そして悩める多くの方に寄り添って人生相談をしています。今は物凄く意欲的な前期高齢者です。毎日、絶好調です。(笑)

ネツトで人生相談

ネツトの人生相談サイト『悩み辞典』には回答者として登録、公開で相談を受け付けて、公開で回答しています。相談したい方は回答者の先生を指名できます。『人生リベンジ倶楽部』という自社の人生相談サイトでは、予約制で相談を受け付けています。失敗ばかりの、こんな私でも人生にリベンジできたのだから、諦めないで一緒に頑張りましょうと相談者を励ましています。

今瀬保男

【略歴】
今瀬保男(いませやすお)
リバティハウス株式会社代表取締役

1948年茨城県水戸市生まれ。日本大学法学部卒。30歳で負債30億の倒産と再建社長経験。以降10年間、数多くの挫折を繰り返しながら、再建会社の社長でしか経験できない特異な体験をする。40歳で個人事業主向け記帳代行サービス「リバティハウス株式会社」代表取締役。創業以来約30年間、記帳代行(帳簿作成代行)と各種相談で延べ6000人以上の「個人事業主」のサポート実績を持つ。その経験を生かし、現在は悩める個人事業主の相談役としても活躍。また自社の人生相談サイト『人生リベンジ倶楽部』や外部登録人生相談サイト『悩み辞典』で悩める方の相談を受けている。

主な著書:『失敗コンサルタント今瀬保男のココロを楽にする人生相談』(リバティハウス株式会社)『どん底からの大逆転!』(太陽出版)『世界一わかりやすいネットで稼ぐ人の「確定申告」塾 』(セルバ出版)マンガ『失敗社長』(制作:うるのクリエイティブ企画・監修リバティハウス(株))

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