職人からトップへ。強面(こわもて)社長のPDCA理論とは?

高校卒業後とび職を6年経験し、住宅建築の会社へ転職。方針に惹かれて入った会社は、地球環境まで考えた特別な理想を持った会社だった。目標を掲げながら、営業マンとして、管理者として、その才能を徐々に開花させてゆく。部下を育てあげ、赤字店舗をトップへ導いたとき、独立への道筋が見えてきた。株式会社Hachi代表取締役の八木宏教(やぎひろのり)氏に、やる気と幸福の輪を広げてゆくための秘訣をとことん聞き取ります。

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とび職にあこがれて入った建築の世界

ー 18歳から24歳までとび職をなさっていてそうですが、なにか特別な建築の勉強をされていたのですか?

いいえ、そういうことは特別ないのですが、バイトでお世話になったとき、その魅力に取りつかれまして「かっこいいな」と思ってとび職の会社に就職させてもらったのが建築への入り口でした。

とび職の先にある技術を見たい

― とび職をやっていく中で、建築のほうに興味を持たれたということですが、それを学びたいと思ったきっかけは何でしたか?

仕事で木造住宅の骨組みを立ち上げるのですが、その先「家がどうやってできていくんだろう?」と、興味がわいてきたのです。そしてそれをもっと学びたいと思うようになり、建築が得意な会社をさがして入社したという経緯があります。

住宅建築の理想を知る

― それが株式会社OKUTA LOHAS studioなのですね。その会社は住宅建築の会社だということですが、具体的にはどんな内容の会社だったのですか?

新築もありましたが住宅リフォームがメインの会社で、社の方針などがすごくおもしろいんですよ。売り上げ重視ではなくて、ものすごく本物志向と言いますか、健康と環境に配慮して持続可能な在り方を考える会社なんです。
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本来の木造建築のあり方とは?

日本では、スクラップアンドビルドと言って、25年とか30年で建てては壊す、汚くなったら建て替えるという文化がありましたが、本当は住宅というのはそんなに早く建て替える必要はないものなんですね。なぜそうなったかというと,経済効果が大きな要因です。

この会社では,リフォームなどを通じて「木造住宅というのは本当は100年持つ」という考え方に立っています。代表的な例が神社仏閣です。あれは木造住宅ですが、100年以上もっていますよね。25年30年では壊さない。それが本来の木造住宅の在り方なんです。

とび職から営業職へ

ー OKUTA LOHAS studioのほうでは、業種は何をなさっていたのですか?

営業職で入社しました。

ー いきなり職人から営業ということで、ご苦労もあったかと思いますが。

最初はお恥ずかしい話ですが、言葉遣いを注意されたり(笑)。若いころ一番はじめに買った本が、言葉遣いの本です。とにかく本をたくさん読んで勉強しましたね。

ー どういった勉強をされたのでしょうか?

特にこの本を買う、という目的では本屋に行かないんです。自分にとって今必要な本に導かれるというのでしょうか。そういった目的で本屋によく足を運んでいました。必ず月一冊は読むようにしていましたね。

ー 当時はどういった種類の本が多かったのですか。

その時々に自分の次のスキルアップに必要な本を、自然と手に取っていたという感じです。

結果を出して20世紀最大の発見を知る

ー 入社して半年猛勉強をして、営業のトップになったということですがその話をお聞かせください。

24歳でOKUTA LOHAS studioという建築会社に入社して、言葉遣いもわからなかったぐらいなのですが、周りに売れてる先輩がたくさんいる中で一番になりたかったんです。

もともと負けず嫌いなところもあったので、当時笑われましたけれど、3年以内に1位になるということを公言したんです。そこから猛勉強をしましたね。

ー 実際に一番になれたというのは、公言したというのが大きかったのでしょうか。

後に学んだことなのですが、「目的と目標を持つと、それより早く手に入る」というのが、20世紀最大の発見だったみたいですよ。

営業トップのヒアリング術

ー 一番になるために、お客様へのアプローチなどで心がけていたことはありますか?

最も気を付けていたのが、ヒアリングの部分ですね。

「間取りを変えてくれ」とか「増築してくれ」とか、お客様からいろんな反響をいただいたときに、なぜそれを変えたいのか、変えなければいけないのかということを考えるわけです。

言われたまま見積もりを出して契約するのではなく、そのお客様にとって本当に必要なところを確信するまでヒアリングを続ける、ということを心がけていましたね。そしてそれを、プロとしての提案に結び付けていったのです。

目標は責任者と決めた結果…

ー その後入社3年目で店長に昇格をされたということですが、そのあたりのお話をお聞かせください。

営業トップになったと同時に、次の目標を掲げました。これは、自分の人生を豊かにするために必要なステップだったのですが、トップの次はやはり責任者になるということです。5年以内という目標を掲げたのですが3年で叶いました。

ー 当時としては社内最短記録だったということで、周りの期待も大きかったでしょうね。
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人生の目的を持たせる方法とは?

ー その後管理職として店舗の立ち上げなどかかわっていく中で、実際どのように育成をされていったのでしょうか?

仕事への向き合い方をどう変えさせるか。まず大切にしたのが、人生の目的を確実なものとして持たせるという事です。
人生を豊かにするための手段として、仕事があるわけですから。

― どの様に、人生の目的を仕事に落とし込んでいったのですか。

人生の目的を持つと、仕事に対する向き合い方や価値観が変わってきます。目的を持つと次に目標を立てるんですね。目標を立てる方は結構多いと思いますが、目標のまま終わってしまう人が多い。

目標は達成させるためにあるんです。目標を立てたらそれを達成させるプランが必要ですね。プランを立てたら実行、実行したら検証、検証したら改善しなきゃダメですね。

PDCAは個人任せにしない

改善したらまた計画、行動。これをPDCAといいますが、これをずっと循環させていくことで目標達成が現実味を帯びてくるわけです。

ー 部下の方たちは自分の人生においてPDCAのサイクルを回していく中で、仕事も人生も全部が良い方向に回っていくようにできるのということですか?

そうです。上司としての関わりという部分で、それを一緒にやってあげる。やっぱり個人任せにすると続かないことが多いですね。

部下が結果を出すために重要な3つのポイントとは?

ー 仕事に対してどうアプローチしていくかというのは、八木さんのほうで手助けをしていく形ですか?

店長や中間管理職として、非常に重要なことが3つあります。

いちばんは「必ず目標達成させる」ということ。次に「スタッフとのコミュニケーション」を重要視すること。そして「人を育てる」ということですね。

それを実現させるために、個人面談を密に行ったり、プライベートの悩みを聞いたりしました。そうすることで気持が楽になり仕事に集中できる。そういったコミュニケーションと人材育成が、目標達成につながっていくということを重要視してきました。

ー そうやって手助けしてあげると、部下はどのように変わっていくものなのでしょうか?

やはり目標達成するのは、自分の力でないといけないのです。私の立ち位置としては、その子が成長するためのサポートに徹するということですね。その子自身がPDCAをすることによって、欲しいものをどんどん手に入れていく。するとどんどん自信がついてくる。そしてPDCAというものがとても重要であることを自ら学んでくれます。

ー 目的を達成していく中で、仕事自体が楽しくなってくるということですね。

ええ。情熱をもって取り組むようになりますね。

ー なるほど。すばらしいですね。
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独立へのステップ。会社の素晴らしさを再認識

ー 独立をされたいという思いは、以前からあったのですか?

いちばん最初に独立を意識したのは10年前ぐらいです。仕事も順調で、ある程度自信もついてきたころですが、そのときに他の経営者は「どんな気持ちで会社を興し運営しているんだろう?」ということを聞いてみたくて、4~5社ぐらいの社長さんにお会いしてお話を伺いました。

話を聞いてみると、OKUTAとは考え方や人生観がかなり違う。そしてその時、多くの経営者がいる中でOKUTAの考え方がいかに特別なものかということに気がついたのです。「ここでもっと学ばないといけないな」と思って独立を留意しました。

つぶれそうな店舗の立て直し方

ー 会社員時代の実績で何か特別なことはありましたか?

特別なことは横浜店の業績回復だと思います。横浜店は赤字続きで非常に厳しく、そのままいくとつぶれるという状況でしたね。でも社員はそのことには無頓着で、考え方も保守的ですし前進してないというところが問題でした。

海図とビジネス

店舗はよくひとつの船に例えられますが、航海するときには目的地を決めないとだめですよね。そこで立て直しも含めて2年目に全店トップを取るという目的地を設定しました。目的地が決まるとどういう順序でその目的地に到達するのか、という海図が必要です。車で言うとナビ。その2年計画を立てたんですね。

船を走らせるといろんな障害があります。まっすぐ行けることはない。迂回しないといけないところや、座礁しそうなころがたくさんありますので、まずはそのための地図を作り計画をたてました。

結局はこのやり方に戻ってくる

あとはクルーの得意不得意を船長がよく理解して役割を与える。そうやって、計画を立てる、途中に停泊する、いまどういう位置にいて、順調なのかおくれているのか、次の経由地はここであっているのか検証する。そして計画をまた立て直すという先ほどのPDCAの手法ですね。

― 上司として結果だけ見るのではなくて、目的地を見ましょうと。

そうですね。目的地に対してどう進捗しているのかということです。月々の売り上げというのは、単月で見ると良い時もあれば必ず悪いときもありますからね。

ムダなものはいっさい捨てる

モチベーションはずっと続くわけがないんです。

だから、やるときはモチベーションをアップさせる。休むときはきちんと休むというメリハリをつけることにしました。そうすればムダな体力も使わないですみますし、効率が上がれば生産性も上がります。営業というとなんでもやってしまいがちですが、それをやると船に重い荷物を積むようなものですから、ムダなものはいっさい捨てるということを行いました。

すると店舗が1年で黒字になり、2年目にはなんと全店一位になったのです。赤字だったときのスタッフがほとんど残っていたのですが、赤字の時の倍以上の売り上げでしたね。

赤字と黒字の人生ランク

赤字店舗だった時に印象に残っているのが、独身の子が「お金がない。お昼をどう節約しようか」という話をしていたことです。

OKUTAは基本給とインセンティブがあり、がんばったら頑張った分だけ給料があがる仕組みになっていました。横浜店のスタッフが2年後にどうなったかというと、家を買ったスタッフもいますし、その独身の子も車を買ったり、葉山に一人暮らししたり趣味にすごくお金を使ったりもできるようになったのです。「もう絶対この状況を手放したくない」と言ってくれた時はうれしかったですね。

ー すごいですね。人生自体がワンランク上がったということですね。

いま、2年前の赤字だったときのスタッフが横浜店の店長になっていますので、人生としても成長しているということですね。

店舗立て直しが独立への道筋に

ー 横浜店を立て直した後にOKUTAを退職されているのですが、横浜店を立て直したという出来事がやっぱり自信につながっているのでしょうか。

そうですね。赤字を黒字にすることもそうですが、経営において根幹になる貴重な体験をさせてもらいました。店舗運営に対する考え方と、経営トップというのをリンクさせ、株式会社横浜店とでもいいましょうか、ひとつの会社としてとらえる店舗運営をしたわけです。

黒字化させたというのもそうですが、会長や社長に認められたという部分は大きかったですね。会長や社長と話をする中で、その内容を同じ経営者目線でとらえることができるようになってきたのです。

そのときに、独立という事を考えて悶々としていた部分が一気に解き放たれ、決断するに至ったわけなのです。10年前に一度独立を考えたときよりも自信がありましたね。

社会貢献する会社であり続けたい

ー 2018年の2月から株式会社Hachiを立ち上げられて、今後の目的といいますか目標はどのようなものですか。

儲けようということよりも、どれだけ社会貢献をしながら長く続く会社か、社会にとって必要な会社であり続けるかということの方が重要です。もちろん売り上げは大切ですが、社会で必要とされる会社を目指したいというのが今の思いですね。

やはり地域に恩返しをしたい、地域の活性化に貢献したいという想いがあります。そのためには、自分が提供するものは、人々にとって必要なものでありたい。ですから、やることとやらないことが明確になっています。

仲間の家族まで、大切にかかわってゆく

ー 最後に八木さんの中で、人生の柱として心がけておられることはありますか?

お客様の満足はもちろんですが、それ以上の思いを持ってやっているのが、一緒に仕事をする人や、仕事を依頼する職人さんや、そういった人たちを仲間としてとらえることです。そして仲間と仲間の家族の幸せまで想像した仕事の付き合い方、かかわり方というのを大事にするということですね。

あとは、この町が大好きなので、子どもの未来ですとか、そういった部分に貢献したいと考えています。

編集後記

ー 少しだけ強面(こわもて)なのですが、笑った顔はチャーミングでとても芯の強い実直な人柄を強く感じ、自分の身近な人だけでなく、その周りの人達の幸せを真剣に考えておられるところにとても感銘を受けました。
培ってきた経験とその熱い想いから感じ取ることができる信頼感は、強面を差し引いても余りある魅力ではないかと思います(笑)。今後のご活躍を楽しみにしております。

【略歴】
八木宏教(やぎひろのり)
株式会社Hachi 代表取締役社長
1976年生まれ。埼玉県出身、神奈川県在住。
高校卒業後、とび職として働く中で、家づくりに興味を抱き建築業界へ進む。お世話になった会社が持つ考えに強く共感を抱き、さらに建築の魅力に引き込まれていく。その後2018年2月に株式会社Hachiを立ち上げ、社会にとって必要な会社であり続けるという思いと共に、地域に根差して社会に貢献しながら長く続く会社を作り上げている。
(この記事は2018年3月現在にインタビューされた内容です。)

株式会社Hachi
http://www.8hachi.co.jp/