元チベット僧侶と日本語翻訳家の、世界を通して見えた日本

世界最大のオンライン翻訳会社と数少ない日本語専属翻訳家として契約する、嵯峨(さが)まりなさんと、チベットの遊牧民として育つ元僧侶、夫のテンジンさんに、海外を通して見える日本などについてお話をとことん聞き取ります。

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バックパッカーから翻訳家へ

― 翻訳家の嵯峨(さが)まりなさんとご主人のテンジンさん。お二人揃ってインタビューさせていただきます。まず、奥様の嵯峨まりなさん。翻訳家ということで今ご活躍されていますが、簡単に経歴を教えてください。

私は神戸で生まれまして、10歳まで過ごしました。その後、父の仕事の関係で埼玉に移り、日本大学芸術学部の文芸学科に進学しました。大学へはあまり行っていなくて、3回生のときに「単位が足りないぞ!」と。

大学卒業できない!そしてアメリカへ

到底卒業できないと思ったんですね。それで親と相談して、海外に行こうかなと思って。まずアメリカで英語の勉強をして、そのあとバックパッキングで旅行に行くつもりだったんです。それで1993年に渡米してまず英語の学校に行きました。それからサンフランシスコのコミュニティカレッジで国際ビジネスを2年間勉強して、英語力をさらに磨いて。そのあと2009年には仕事をしながら通っていたサンフランシスコ州立大学で心理学の学士号ももらいました。

翻訳家として活躍するまで

― 現在は翻訳家ということで、英語から日本語の翻訳をされていると思うのですが、大学生ぐらいのときから、翻訳家になりたかったのですか?

それは常にありましたね。文字が、言葉が好きなんですよ。もともと書く事が好きなので。英語も得意なんですけど。具体的に何をやったかというと、コミュニティ・カレッジを卒業して、しばらくは向こうで日本とか現地の企業に勤めました。その中で本格的にではないけど、翻訳を経験して本業にしたいなと。それで、1999年くらいに翻訳のコースに通いました。でもその頃はすぐに仕事にはつながらなくて…本格的に始めたのは2010年、オランダに渡ってからですね。

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五ツ星ホテルでヒーリングマッサージセラピストとして活躍

― その当時はヒーラーとして活躍されていたそうですね。

サンフランシスコでヒーリングマッサージのビジネスを起こして、一人で金融街にあるビルの一室を借りてやっていました。2009年に16年間のアメリカ生活にも終止符を打って所持品をほぼすべて処分して、インドと日本を1年間バックパックひとつで旅しました。

その間オランダに引っ越す前にいわゆるデジタルノマド(在宅で仕事して場所に縛られない生活をする人のこと)になるために在宅でできる翻訳に力を入れるようになってね。自分でサンプルを作っていろんな翻訳会社に売り込みましたね。オランダに移った当初はマッサージの仕事が主で、グランドホテルとか五ツ星のホテルでセラピストとしてやっていました。

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旅をしながら翻訳家

― すごい行動力ですね。

翻訳家になった流れとしては、翻訳会社に問い合わせて、サンプルや履歴書なんかを出して、気に入っていただければテストを受けるっていう感じでしたね。受かるところもあればだめなところもある。それで徐々に固定客も増えてきて。昔から旅をしながらでもできるような仕事をしたいと思っていたので、これはいいなと。

― ひと月にどれくらい翻訳されるんですか?

大体1日フルタイムで英文を2000文字くらいですね。小説とかだともっと時間がかかります。小説の場合は直訳ではなくて、文章の間に入っているニュアンスとかも入れる必要がある。一度、オーストラリア人のエンジニアで六本木在住のアンドリュー・ブレンコウさんという方が書いた小説を訳させて頂いたことがあるんです。2041年の日本が舞台の小説で、『世界を救う超大国日本、二○四十一年』というタイトルの本。でも、あんまり売れなかった(笑)。それは時間かかりましたけどおもしろかったですよ。

― 例えば小説一作品翻訳するとなると、期間的にはどれくらい?

早い人遅い人は当然いると思うんですけど…そうですね、先程挙げた小説のプロジェクトですと半年…全部含めて半年くらいですね。その間も、それだけではなくて他のこともやったりするから、結構時間かかりますよ。

― 本格的に翻訳の仕事を始めたオランダで、ご主人のテンジンさんとお付き合いを始めたのですね?

はい。

どこででも仕事ができる自由を手にする

― 結婚されてからもお仕事を続けながら?

彼はあまりオランダ語が得意ではなくて、私も7年いたのに全然オランダ語ができないんです。なので、私は在宅で日英翻訳の仕事だからそのまま続けていて、彼には家で主夫をやってもらっていたっていう感じですかね。で、子供が生まれてもずっと、妊娠中とかもずっと休んでいなくて。妊娠23週の頃、ハネムーンでインドに行ったら、ゴアでスクーター借りてこけちゃって。脚折って大変だったんですよ。現地で手術したりして。

― 妊娠中ですよね?

妊娠中です。合計1ヶ月ぐらい滞在の予定だったんですけど、3週目ぐらいにそうなって、最後の1週間病院にいたって感じでした。その時も翻訳をやりながらそこにいたんですよ。結局場所を選ばない仕事だから、そういう意味でバケーションはないかもしれませんね。どこに行っても仕事に付きまとわられようと思ったら、まとわられる、みたいな。

保証の無い時代だからこその働き方

今でもそんな感じで、子供は藤沢市の幼稚園に行って、旦那さんに見てもらって、すべて家事は丸投げみたいな感じでやってもらっています。今の時代、会社員でもいつクビになるかわからないし、保証なんてないじゃないですか。在宅だと自由もきくし、身軽に生きたい人にはぴったりな仕事だと思いますね。

― 大変なことも多いのではないですか?

最初の頃は結構大変でした。クレームがでたりとか…嫌じゃないですか、そういうメールとか見るのって。でも、それにもめげずやってきました。今はあんまりなくなりましたけど、やっぱり厳しいですよ、仕事の世界は。現在はオンラインの翻訳会社としては世界で一番大きい会社で専属として仕事をしています。その会社で日本語の専属翻訳者は3、4人くらい。

― すごいですね。

私がすごいわけではなくて、会社がすごい。2011年に立ち上げられたニューヨークに本部があってイスラエル系の方がいっぱい働いているような会社で、小さい会社だった。そこからどんどん大きくなっていったんです。私としては2011年の9月に所属して、現在に至るという感じです。

チベットからの亡命

― 日本にはいつ戻ってきたんですか?

2017年の10月に戻ってきました。

― しばらくは日本で暮らして行こうかなと?

そうですね、これからずっと日本で暮らして行こうかなと思っています。私はアメリカ国籍を取得しているので、永住権を取ったりする手続きを進めています。親も70代になってきたし、正直言って今更アメリカ帰ってもね。

アメリカに自営業で帰ると普通じゃないんですよ、医療保険料が。家族3人で15万円とか取られますからね、普通に。サンフランシスコだと家賃が40万円くらい必要だったりして。普通のところですよ、全然かっこいいところじゃなくて。そういう意味もあって、日本ってやっぱりいいところですよ。

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お坊さんは幸せそうだと思った幼少期

― ご主人のテンジンさんは職業がお坊さんですよね。テンジンさんの経歴と、現在の活動についてお伺いしてもいいですか?

主人は日本語が得意ではないので、私が訳しながらお話しますね。彼はチベットの遊牧民の家庭の出身で、お姉さんが2人居る、3人姉弟で育ったそうです。12歳の頃、出家をしたいと言ったところお母さんに反対された。

― ご家族で男の子が一人だから

そう、息子一人だから。やめてって言われたけど、逃げるように出家して。

― お坊さんになって、人を救いたいとかそういう気持ちで?

若いときはあんまり、正直言ってわからなかったけど、周りのお坊さんを見ているとみんな幸せそうな方が多いから、なにかご存知だと思って。自分もああなりたいと思った。憧れですね。その辺にいる人とは違って、幸福そうに見えた。そんな風になりたいと思って。

20年の修行があるからこそ、瞑想ができる場所を作る

それで20年間チベット仏教のお坊さんとして修行して、32歳のときにオランダに渡って、結婚して、日本に来た。これからは、2人で瞑想教室を開いて、道場ではなくて、グループ的な場所をつくりたいと思っています。

― 瞑想教室ですか。

サンフランシスコに「サンフランシスコ禅センター」というところがありまして、そこで無料で瞑想やってるんですよ、そこはお寺なんですけど。毎朝5時20分と夕方が5時40分かな。毎日やっているんですよ。そういう場所を作りたいんです。場所代があるから無料は難しいけど500円くらいとか気軽に参加していただける金額で。そういうのは絶対にやりたいですね。

瞑想というのは、「欲」「利己的な心」「無知」この3つと戦うためにするんですね。現代の日本の教育制度というのはお金を稼ぐための、職を得るためのものという感じになっている。だから瞑想で心を豊かにする時間を持ってほしいんです。学校では、道徳のクラスとかあったじゃないですか。それがいつの間にか減っていっているような気がして。25年ぶりに日本に帰ってきて、里帰りで観光客程度には前にも帰ってきていましたけど、今回本格的に住んでみて気づいたのは、日本人変わっちゃったなぁと。

世界を通して見た日本の現状

私が渡米した直前はバブルの頃で、比較的みんなご機嫌で、そういういい記憶しかないんですよ。1972年生まれなんですけど、だから日本の経済で一番いいところを通ってきたんですよね。結構美味しい思いをして育ってきた。それで帰ってきたら、みんな表情が暗くって、スマホ見て、なんかロボットみたいな感じだなと思って。エネルギーの波動もイマイチですね。昔の昭和の日本人に比べて元気がないんですよね、全体的に。日本人の方って素晴らしい人達なんですよ。みんな優しいし。欧米で25年住んでいて、向こうは個人、インディビジュアルを優先するんですよ「私が私が」「俺が俺が」っていう。

でも、日本はグループを大切にする。素晴らしいんですよ、日本人の気の使い方とか。普通じゃない。他の国にそんなに気を使う人たちいないですよ。私はインドにも住んだし、アメリカ、オランダ…ヨーロッパも色んな所旅してきて、南米はまだあんまり見てないですけどね。すごい。日本人の気の使い方は普通じゃないのに、今の人、特に若い人ってそれが表現できないんですよね。

先日電車に乗ったら終点に着いても寝ている方がいて、近くの人たちは知らん顔。旦那と2人でそこまで行って揺すっても起きないから車掌さん呼びに行こうかなと思ったらやっと起きてくれて。昔の日本人だったら周りみんなで起こしてましたよね。みんなわかっていても今はなかなかできなくなっている。だからやっぱり、翻訳もいいけどこういう瞑想とかね。基本的に日本人の方に自分の良さに気づいてもらいたいっていう、そういうお手伝いができればと思っています。

想いを表現できるような芽を育む

― 人としての思いやりとか優しさとか、そういうものですね。

表現できる、持っているだけではなくて、表現していきましょうよ、と。自分らしさ、恥ずかしがらないでいいんですよ。みんな恥ずかしがりすぎているからね、今。あんまり表現できないでしょう?持っていても。今の日本人はみんな型にハマりすぎ、プログラムされすぎている感じがするんです。

― 瞑想によってそういう表現をうまくできるようにしていく教室を開きたいと?

そうですね、心の道場ですよね。そういうのをやっていきたいんです。宗教とかそういうのではなくて。私は宗教大好きですけどね。ヒンズー教とか仏教とか、なんでもいいんですけど、人の心を人らしくするためのものでしょ?宗教って。それの何が悪いのかなって。恥ずかしがることない、自分の心を磨く自分をなんで恥ずかしがるんだと。「あの人宗教やってるんだ」っていかにも変人みたいな扱いをされるけど、心を磨いている人をどうしてそういう悪く言うのか、そういう話じゃないですか。

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宗教の意味は人生を追及すること

そういうことを言う人は、宗教をやっている意味がわかっていないから、「宗教をしている」っていうカテゴリーだけでバッテンしてしまう。宗教の意味って人生の意味を追求することだと思うんですけど、そういうことをできる人っていうのは心を集中させることができているんです。

瞑想とかで心を自分に集中させると、そういう意味が自分なりに解釈できるようになるし、瞑想すると自分の本質的な心の平和な、静かな部分が出てくるんですよね。静かな湖、濁っていない、波紋とかもなんにもない、そこに居ると急に物事がクリアにわかってきたりするんですよね。

自分と向き合う時間を作ることが今の時代には必要

カリフォルニアでは10日間のサイレントメディテーションっていう「ヴィパッサナ」とかに何回か行きまして。その間一切人と口きかないし目も合わせない。自分の心のみと向き合うという主旨で。1日2食で朝4時半から10時間くらい瞑想するのかな、休憩はありますけど。

そうやっているとね、周りからの妨害がないと、自分の本当の心の中が見えてくるから。スマホとか見ちゃってると情報ばっかり見ちゃって、自分の心を見る機会がなくなっちゃうでしょ。昔はそういう機会があったんですよ、電車とかでぼーっとして。ないでしょ?今そういう機会が。スマホしてるか寝ているか。いろいろ考える時間、ぼーっとする時間、何もしない時間、座っている時間っていうのが、必要なんですよ今の社会に。それをご提供できればなと思って。

編集後記

常に自分の心に実直で、その都度描く想いを行動に移すなど、自分を表現することが上手な方だと感じました。客観的に日本を語る姿には、ハッとさせられることも多く、日本人としての誇りをもって、自分自身としっかり向き合う時間を作ろうと感じました。

【略歴】
嵯峨まりな(さがまりな)
翻訳家
1972年生まれ 神戸市出身 神奈川県在住
10歳まで神戸で過ごし、中学高校は埼玉県

日大芸術学部文芸学科在学中に語学学習として1993年に渡米。
当初は一年の予定であったが、サンフランシスコの大学で心理学を学び、ヒーラーとして自身のサロンを開設。

10年間アメリカですごす。アメリカ国籍取得
その後2010年ごろからバックパッカーとしてインドを旅する。
その後ビザの関係で生活のしやすかったオランダに生活拠点を移し、翻訳家として活動をおこなう。

テンジン(テンジン)
元僧侶
チベット出身
12の時に、母親の反対を押し切り出家。20年間チベット仏教の僧侶として生活をする。
32歳の時に、ヒマラヤ山脈を歩いてオランダに亡命する。