爽やかな語り口で明るい印象の松本通子(まつもとみちこ)さん。現在予約待ちのエステサロンとエステティシャンのスクール経営、講演や本の執筆と精力的に活動されていますが、ここまでの道はどん底の頃手にした1冊のYouTubeの本がきっかけでした。シングルマザーが背負った3000万円の借金、しかしわずか一年後には経営再建に成功した訳とは?激動の半生と逆境から這い上がってきたエピソードをとことん聞き取らせていただきます。
YouTubeで集客したサロン
現在、茨城県笠間市でエステティックサロンとエステティシャンを育てるスクールを運営しています。サロンへは、笠間市内、つくば市、水戸市、那珂市など、遠方からもお客様がいらっしゃいます。「YouTubeの女王」という本を出版したことをきっかけに、全国の商工会議所や企業様からお招きを頂いて、講演もしています。
ー お客さんはYouTubeを観て来られるのですか?
Google・Yahoo検索はもちろん、YouTube内で検索される方もいらっしゃるのですが、毎回必ずお客様から「なぜ茨城県の笠間にサロンがあるの?」と言われます(笑)。
茨城県笠間市でエステサロンを始めたきっかけ
小学校のときに熊本県から引っ越してきたんですけど、それまでいじめにあうような静かな子供でした。当時熊本で家を建てたばかりだったのですが、人間嫌いになるくらいあまりにひどいいじめだったので「環境を変えた方がいいかもしれない」ということで、母の実家のある茨城県笠間市に引っ越してきました。母にそのときのことを聞くと、「産んだ責任があるから、ちょっとでも生きやすく、楽しめるように」と決断してくれたみたいです。
引っ越したことで私の根本的な暗さがいきなり改善するわけではなかったのですが、でも笠間の町が少しづつ私をここまで育ててくれたという想いがあり、エステティシャンの資格を取った後ここで起業することにしました。そして笠間にはエステサロンがないので、激戦区で勝負するよりも、地域に愛されるサロンを創りたかったんです。
変われたキッカケ
ー 現在はとても明るくていらっしゃいますが、いつ頃から変わっていったのですか?
中学生までは特に明るいというわけではなく、賑やかな友達を遠目で見てた方だったのですが、進学校の高校へ入ったら私よりおとなしい子ばかりで、普通にしているだけなのに私が「活発で明るい子」だと、いきなりポジションが変わってしまいました(笑)。それで「私の人生ちょっと変わっていくかもしれない!」と思って、殻を破るために調子に乗って劇団に入りました。
劇団に受かったこと自体もすごい自信になって。オーディションにもどんどん受かってくるようになると、小さかった声も大きくなっていくんですね。そんな風に一応新たな自分には巡り会ったのですが、客観的に演じている自分をモニターを通して見たらなんか笑えるんですよ(笑)。可愛くもないし、私はやっぱり女優系じゃない、タレント系でもないと思ったので、小さい頃からやっていて評価が高かったダンスに移行しました。
妊娠をきっかけに立ち戻る
在学中にダンス関係の就職も決まっていたので、高校3年生の夏くらいからは東京をあちこち行って満喫していましたが、高校を卒業してすぐ妊娠したんです。ニューヨーク留学も決まっていたのですが、卵巣の病気の中での妊娠だったので奇跡のベイビーだと思って、彼を言いくるめて結婚しました。今考えたら相手の人生を強引に決めてしまったところもあるので仕方がないのですが、結婚したと思ったら、切迫流産で入院中に夫が蒸発してしまいました。
私の人生アップダウンが激しい!平和はいつ訪れるの!?子供を育てる自信がないと思っていたときに、母が「私は子育てのプロだから、子供は私が育てる。あなたはやりたいことやっていればいいじゃない。」と言ってくれました。母の言葉でちゃんとしなきゃと思って、産んだら何しようとずっと考えていたんですよ。
エステティシャンへの道
そんなあるときテレビをつけたら、色々な分野の専門家たちが集まってひとりの女性を美しく変えていくという番組を見ました。専門家の中に、業界ナンバーワンだったエステティシャンの先生が出ていたのですが、その先生が「あなたの体重を3か月で〇〇kg落とさせます」とバシッと言うんです。私は自分の人生も操れていないのに、彼女の人の人生を変えようとしている姿が輝いて見えました。
それまで美容のことは気にしてなかったですし好きじゃなかったのに興味が湧いて、調べて行ってみようと思い、大手エステ会社の門を叩きました。一日10時間以上勉強し、最短の2か月半で資格を取ってエステティシャンになったのです。
その後再婚し二人目の子供も授かったとき、夫に「笠間で子育てしたいんだよね」と相談したら、「じゃあ笠間でサロン兼自宅を建てよう」ということになりました。22歳のときです。
順調な経営のさなか、悲劇が
建てた家の近所に結婚式場がありまして、営業に行ってブライダルの際にエステをさせてもらいたいと、お客様をまわしてもらうことになりました。ですから、オープンした次の日にはお客様がちゃんと入ってくる状況でした。
でもエステといえば高額商品のイメージが強いですから、変なものをお客様に売りつられないように結婚式場の社長から「顧客情報はとらない条件で。」と言われていまして、お名前などカウンセリングに必要なことはお聞きしても、その後のアフターフォローなどができる顧客情報は一切ありませんでした。
そういう状況でお客様をどんどん流してもらっていまして、次々とお客様を捌かなければいけなかったので心も血も通ってない仕事をしていたんですね。その頃は、運で助けられていたのに、パッとお客さんがついて何となく生活もできていたので「経営ってこんなものか」と思っていました(笑)。
そして、北関東一大きい自動車学校と「合宿中にエステでマイナス3キロ!」というような企画を立ち上げることにもなりました。そこで年間800人以上のお客様が見込めるということで、安易な考えですがそのたったふたつの柱を頼りに、当時のサロンのキャパシティーでは到底間に合わないので土地を買って今のサロンを建て、スタッフを雇うために、3000万円の借金をしました。そして着工予定だったのが2011年の3月です。
震災で失ったもの、失いそうになったもの
ー 東日本大震災のときですね。
それで契約していた結婚式場はそのまま破綻してしまいました。自動車学校も、エステよりも受講者への交通費支給や返金などにベクトルを向かせたので、その話も立ち消えになりました。顧客情報も手元にはなく、お客様が一人もいないのに借金を毎月30万円返していかなくてはいけない状態だったのです。
全然お金はなかったですけど、それでもいくらか残っているお金で地元のクーポン雑誌に広告を入れてみたり、色々なことをしましたが、全くお客様はいらっしゃいませんでした。そんなときって何かにすがりたくなるもので、知人の紹介で知り合ったコンサルタントに騙されて最後のお金を失い、更に追い打ちをかけられました。
ふたを開けてみたら夫の会社もうまくいってなかったみたいで、話せばお金のことで激しい喧嘩ばかりでしたね。それで離婚に至り、私には二人の子供と借金3000万円と、お客様が来ないサロンが残り、もうだめだと思い自殺未遂をしてしまいました。
一冊の本
しばらく目を覚まさなかったらしいのですが一命をとり止め、家で「また人生を終わらせようか、子供のために今度こそ起死回生を図ろうか」とぼーっとしてたときに、YouTubeで色々な会社を立て直してきたという本を手に取りました。
無料だし、やれる気がするという期待とワクワクのエネルギーが湧いてきて「YouTubeにかけてみよう」と。そこから1日22時間くらいYouTubeの動画を撮って編集作業をしました。大して可愛くない私の顔を撮ってはアップし、罵詈雑言の書き込みを受けながらも、どんどんやっていたら比例するようにアクセスが伸びて、3,4日後には予約の連絡が入ったんです。
自分で集客したお客様だから
それはやっぱり東京のように激戦区じゃなかったからだと思います。サロンがYouTube動画をあげることは東京ではもう当たり前なことですが、当時「茨城 オールハンドエステ」で検索したら他のホームページより私のYouTube動画が出てきましたから。
自分で集客したお客様ですから、それからお客様一人一人を大切にする方法や、どうやったらお客様に愛される私であるか、今まで見えなかったこと、やってこなかった努力、ちゃんと想いを込めることを、やっとできるようになりました。
お客様のお陰で大好きな仕事ができる。商い人は皆思うでしょうが、お客様がいなくては始まらない。あたり前のことなのですが、大手の会社でお客様を運んでもらっている段階では気付けなかったことです。YouTubeを使ってようやく這い上がってきて、「YouTubeの女王」を出版したという経緯です。
腕は良いのに広げられない人の力に
エステサロンって電信柱の数以上あると言われるほどあって、「出来ては無くなり」を繰り返しています。それは、技術を教える場所はあってもマーケティングを教えてくれる場所はなかったり、マーケティングを教わる場所があってもエステとちゃんと結びついていない。業界を底上げしていこうとしている人間としてそれがすごく問題だと思っています。
昨年、一般社団法人エステサロン開業支援協会というものを立ち上げました。今から学ぼうと思っている、そして企業しようと思っている人たちに技術を提供するだけではなく、具体的なお客様の獲得の仕方、リピーターの増やし方、やみくもに開業するのではなくエステサロンにその人の色を出していくことなど、広げ方をしっかりと教えられるような場所を作っていきたいと思っています。
一概には言えないですが、技術職・専門職の人って「腕さえ良ければ来るだろう」と考える人が多いんです。じゃあ腕の良さをどこで・どうやってわかってもらう?というところですね。私が命まで落とそうとするほど一番苦労したところです。腕が良いのに広めることができない人はたくさんいるので、力になれるような活動をしていきたいと思っています。
【略歴】
松本通子(まつもとみちこ)
エステティックサロンスクール・Bonheur(ボヌゥール)代表。
1986年、熊本県出身。高校卒業後、大手エステスクールに進み、卒業。2009年、茨城県笠間市にエステサロンを開業。東日本大震災に遭い、企業パートナーとの契約解消、顧客減少により窮地に立たされる。「YouTube動画戦略」によって、わずか1年足らずで経営再建に成功する。現在は、エステサロンオーナーの傍ら、講演、執筆に幅広く活躍中