松下幸之助氏の愛弟子、江口克彦氏から次世代リーダーへ

故・松下幸之助氏と23年間ほとんど毎日毎晩語り合い、直接教えを受け、PHP研究所社長や松下電器産業株式会社理事などを歴任された、江口克彦(えぐちかつひこ)氏。なぜそんなにも信頼を受けたのかとの質問に、「頭が悪かったからだ」と謙遜される一方、「ベクトルが同じだったから」という答えが返ってきました。つまり、江口氏の願いは、松下幸之助氏の願いでもあるわけです。これから仕事を始めようとする若者たちに、とりわけ日本のリーダーを目指す人たちに伝えたいメッセージをとことん聞き取らせていただきました。

働き始めた君に伝えたい「仕事の基本」

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松下幸之助氏に学んだ仕事の基本

ー このほど出版された、『働き始めた君に伝えたい「仕事の基本」』という本に書かれていることは、松下幸之助氏から学んだことが多いのでしょうか。

この本に書いたことはすべて、松下幸之助さんから教えられたり、あるいは松下さんの期待に沿うためには、どんな仕事の仕方をしたらいいのかということを、自分なりに考えて対応したことなんです。たくさんある中の一部を、若い人が読みやすいよう、22項目にまとめてみました。

私にとっては、松下幸之助さんという人は、立場的に言えば、いわば、大横綱。私は、まあ序の口です。天と地の違いはあっても、同じ相撲取り。ですから、横綱が言うことについて、「なるほど、そうなのか」「そうか、こうしたらいいのか」「こういう考え方なのか」と、序の口なりに理解出来る。理解できるというより、それはもう学びっぱなし。また、私が言うことも、幼稚ながら、相撲の話。お互い、話が合い、はずむ。そのような状況だったのではないかと。

ー すごく大切なことが書かれているのですが、読みやすいですね。

文章を書くことも商売も、相手の立場に立って

「内容があるけれども、分かりやすいこと」。これも、松下幸之助さんに教えられたことです。原稿を書くように指示されて書いたら、「もっと分かりやすく書けんか?」と言うんです。そして、「君、文章というのは、自分が分かる文章を書くのではなくて、読む人が分かるように書かんとあかんな」と。私は、それまでは読む本が硬い専門書でしたから、どうしても評論家のような文章になる。しかも、「中学生でも分かるような文章を書いた上で、なおかつ内容があるというような書き方をせいや」と言われて、「確かに、そうだな」と思いましたね。

江口克彦

手紙や文章は、相手に知らせるために書くのであって、自分を見せびらかすように、いかにもかっこよく書くものではない。字も、下手でもいいから、相手に分かるような字を書く。本を書くにしても、自分が満足する文章で書くのではなく、読者が満足して理解できる文章で書くべきだということですね。そういう意味において、私の書いた本は、どれも読みやすい(笑)。

自分の立場ではなく、相手の立場に立つということ。松下幸之助さんは、常にそんな考え方だったんですね。商売をやっていても、自分が造りたいから造るのではなく、お客さんが必要とするもの、使って便利なものをと、お客さんの立場に立って物事を考える人でしたね。

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同じ話を聞ける力は成長する力だ

ー 著書の中でも「同じ話を聞く力を持つ」という部分が印象的でした。「また同じ話をしてるよ」と感じてしまう人は多いと思うのですが。

松下幸之助さんは、何回も何回も、私に、基本的には、同じ事を23年間言い続けてくれました。そのお陰で私の体に染み込んで、血肉になっていますから、今も私は、そのまま話をすることができるわけです。1回聞いただけでは多分忘れていると思う。それに、同じ話を聞いても、同じ小説を読んでも、その時々によって、感じ方も理解も変わっているのです。

例えば、夏目漱石の『こころ』を、高校生のときに読んで、まるで推理小説のような感じを受けた記憶がありますが、この頃、改めて読んでみると、人間の心に沈潜しているエゴイズムと人間が構築している倫理観、いわば、感情と理性の葛藤を、漱石は表現しようとしたのではないか、と感じる。要は、同じ小説でも、年齢によって、そのときどきに、感じ方が変わってきます。

ですから同じ話を聞いて、「またか」と思ったら、その人が成長していないということ。それに気付かないといけないと思いますね。まあ、同じ百合の花と言っても、朝、蕾のときと、昼過ぎにはパッと開いたときとでは、また違う。どんどん変化している。その都度、「こういうふうなことを考えなければいけないんだな」とか、「実は、こういうことを、この人は言ってるのか」と受け止める。同じことを聞いても、そのときどきで、捉え方が変わる力、自分自身が成長する力を持つということが大事だと思います。

松下幸之助

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自分が成長し、納得できる人生を

ー 「仕事の基本」は、自己成長というテーマで、ひとつひとつ書かれていると感じました。

日本人の仕事の基本は、3つの要素があると考えています。まず、自分に与えられた役割をきっちり果たすということ。2つ目は、自分自身の人間的成長が大事だということ。そして、3つ目は、誠実に仕事に人生に取り組んでいくこと。

ですから、常に誠実に、与えられた役割を果たす。その精進によって、一瞬一瞬、人間的に成長する。そのような仕事観が、日本の伝統的仕事観ではないかと。ですから、お寺に行って座禅をするとか、滝に打たれるとか、そういうことではなくて、その時々の仕事を誠実に真剣に取り組み、自分の果たすべきことを果たしていくというようなことが大事だということですね。

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成功する人生ではなく、納得する人生を

そのように、仕事に取り組んでいると、成功とか失敗ではなくて、納得が得られる。私は成功する人生というよりは、納得する人生が大事だと思います。成功というのは、どういうことをいうのか分からないですよね。お金持ちになったら成功か。松下幸之助さんは、事業でお金持ちになった、成功したと、言う人もいましたが、日々接していて、あの人ぐらい悩み多き人はいなかったと言ってもいいでしょうね。そういう意味では、必ずしも成功した、毎日が満足した人生とは言えなかったかもしれない。

しかし、あの人は4歳のとき家が破綻して、一家離散状態になって、23~24歳の時に独立して94歳で亡くなるのですが、自分なりに一生懸命生き続けてきたなという納得感、人生に対する満足感というものは、あったのではないかと思います。宮本武蔵の言葉に「我、ことにおいて後悔せず」という言葉がありますが、それが大事だと思うんですよ。「我、ことにおいて失敗せず」ではなくてね。

松下幸之助

松下幸之助さんは自分の人生が成功であったと思っていなかったんじゃないかな。自分でも、自分の人生が成功であったとは思っていないと言っていました。しかし、振り返ってみて、「納得することができた人生」だったのだと思います。あるとき「自分で自分の頭を撫でてやりたい気分」ということを言いましたが、それが「我が人生、納得の人生」ということを言っていたのではないかと思います。

ー 松下幸之助さんって、私たちの世代からすると坂本龍馬とかと一緒で歴史上の人物になっているので、松下幸之助と呼び捨てになっちゃいます。年齢的にはおいくつ違いですか。

45歳ぐらい違います。ですから、松下幸之助さんが亡くなって30年経ちましたので、直接話し続けたという人は、たいていは亡くなっていて、私ぐらいしか生き残っていない(笑)。休みなく、毎日毎晩のように話をしたわけですが、1対1ですから、まことに個人的な話もするわけですよ。「昔なぁ・・・」とか「こういうことしようと思うんや」とか。ただ残念なことに、その場に他に誰もいない。誰も証明する人がいない。いわば、証人がいないわけですから、人によっては私の作り話と思う人もいるようです(笑)。

ほとんど、私だけに政治的な話をした

一番困ったのは、政治に関する話です。たいていは、私だけにしかしなかったことです。たとえば、私は松下さんの下で、ずっと松下政経塾を作る準備もやってたんですが、政経塾ができて2年目ぐらいの時に、「もう松下政経塾では間に合わん、政党をつくろう」と言い出しましてね。その時に「君、他の人に言ったらあかんで。君ひとりで党則とか綱領をまとめてくれ」というので、作りましたよ。今も、そのとき、つくった118ケ条の党則が、私の手元に残っています。

ですから、その経緯(いきさつ)を他の人は知らないので、松下さんが党をつくるというようなことをちょっと言ったりすると、「あれは、江口がそそのかしたからだ」(笑)という人たちもいましたね。私は「言われた通りのことをやっただけなのに・・・」と思うんですが、その経緯を説明しませんでしたから、今でも、そう思っている人がいるかもしれません(笑)。松下幸之助さんは、他の人を呼ぶときは、人を介して呼んでいましたが、私には、自分自身で直接電話をかけていたそうで、そのことは、松下さんの日常のお世話をしていた山田兼次さんという人からの手紙で知りました。

ー それだけの信頼を寄せられるようになった理由というのは?

それは、私にさしたる能力がなかったことでしょうね。頭が良かったら、さっさと自分の道を選択していたと思います。現に非常に頭のいい先輩が、辞めたいと。それで、他の部門に替わったことがありました。私の場合幸か不幸か能力がなくて(笑)、ただ一生懸命仕えていましたから。松下さんも可哀そうだと思ったのかも知れません(笑)。

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ベクトルは同じだった

ただ、私がいわばプロレスラーやボクサーの人間ではなく、松下幸之助さんと同じく相撲取りだったということ。そうですね、考えるベクトルが同じ方向だったということは言えますね。そういう意味では、私が話しても「それはそうだ」と言ってくれましたし、松下幸之助さんの話すこと、考え方が、私にも抵抗なく受け止められ、理解することができましたね。特に思想や外交や政治の話はベクトルが、ほとんど一致していましたから。

言ってみれば、松下幸之助さんの世界の中に自然に入り込めていたということ。それが23年間長続きした理由だと思います。ですから、当時松下さんには、私と松下電器にも秘書がいましたが、彼はどちらかというと、業務的秘書でしたが、私は思想的秘書だったと言えるかもしれません。

江口克彦

若きリーダーたちへ

ー 最後に、今の世の中とか社会に対して、伝えたいメッセージというのがあればお聞かせください。

日本のリーダーの人達は、政治家と言わず官僚と言わず経営者と言わず、もう少し日本の国のこと、国民のことを真剣に考えてほしいですね。経営者の人たちを例に言えば、昭和の経営者たちは、70年前の敗戦後、爆撃を受けて国土は荒廃し、人々は住む家もなく、着るものもなく、その日食べるものにも事欠きながら、必死に生活をつないでいる中で、経営者の人たちが、国民の生活をなんとかしなければいけないという思いが非常に強かった。いわば、日本再興の志があったと思います。

松下幸之助さんはじめ、本田宗一郎さん、盛田昭夫さん、土光敏夫さんなどなど。当時の経営者の人たちは、たいていそうでした。多くの国民や社員の人たちに少しでも豊かな生活をしてもらいたいという思い、志があった。そして日本を立派な国にするんだという思いがあったんです。

国民のために仕事をするビッグなリーダーに

しかし、今の平成のリーダーの人たちは、すべてとは言いませんが、天下国家のことを考えない。豊かさの中で育っていますから、当然かもしれないけれども、少なくともリーダーの人たちは、自分の会社のこと、自分の財産のことだけでなく、国家国民を考えないとダメですね。

アメリカのビジネススクールで学んできたことを、いわば品種改良もせずに日本の畑にタネを蒔(ま)いても、芽が出るわけがない。ところが、その努力もせずにそのまま日本の経営に持ち込んだ。芽がでない、花が咲かないのは当然でしょう。短期的、自分ファーストで考えるようになった。その混乱が未だに続いているわけです。そうすると、日本の経済は世界的な地位を占めることがだんだんと出来なくなってくる。

日本の国とか国民とかということを考えるのではなく、ただ自分がお金持ちになって、六本木の豪華なマンションに住みたいとか。別荘を持ってパーティーを開くのを競い合うとか。いかにみみっちい小型のリーダー、経営者になってきているかということを、考えなくてはいけないと思うんです。

大きな家やマンションに住まなくたっていいんですよ。もう一度やっぱり経営者や、とりわけトップリーダーの人たちは真剣に、「国民を、従業員を喜ばせる」というような、そういう考え方で経営に取り組むということもしてほしいと思いますよ。松下幸之助さんが生きているとすれば、「会社は公器。なにも、自分のためだけに経営をやっているのではないだろう」と、繰り返し言うのではないかと思います。

とにかく、公の志というか、国民を考え、従業員を考え、日本を考え、世界を考える政治家、官僚、経営者、そのようなリーダーになることを心掛けるべきではないかと。もちろん、その志を持ったリーダーもいるとは思いますが、もっと多くのリーダーが、国家、国民、人類、世界を考えて欲しいと思いますね。

江口克彦本

【略歴】
江口 克彦(えぐちかつひこ)
株式会社江口オフィス 代表取締役社長。

1940年、名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科出身。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。経済学博士でもある。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長などを歴任。

著書に『凡々たる非凡―松下幸之助とは何か』(H&I社)、『松下幸之助はなぜ成功したのか』『ひとことの力―松下幸之助の言葉』『部下論』『上司力20』(以上、東洋経済新報社)、『地域主権型道州制の総合研究』(中央大学出版部)、『こうすれば日本は良くなる』(自由国民社)など多数。

江口克彦オフィシャルサイト
江口克彦氏著書一覧