島田晴雄が語る日本の現状を打破する手立てとは?

6歳で描いた絵がアメリカのLIFE誌に載るという、天性の絵の才能をお持ちの経済学者島田晴雄氏。慶應大在学中にはオリンピックの上級通訳に選出され、留学先でも並外れた行動力で活躍の幅を広げてこられました。60代で再び絵筆を持ち始めた島田氏の幼少期からのエピソードをお伺いするとともに、このほど出版された書籍「日本経済 瀕死の病はこう治せ!」をもとに、日本が現状を打開するためにどうすべきかを、とことん聞き取らせていただきました。

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画家としての歴史

ー 私は正直絵はわからないのですが、WEBサイトで先生の絵を見た瞬間に「うわぁ」と思って、ものすごく引き込まれてしまいました。

わからなくていいんですよ。特に抽象的な絵ですから、人によって解釈がぜんぜん違います。見た瞬間の直感がすべてです。
僕は50年間絵を描いてなかったんですが、シャネルの社長であるRichard Collasse氏の強い推薦で、また絵を描き始めました。そして銀座のシャネルジャパン本店のイベントで個展を開いたわけなんです。

描きたくてしかたなかった幼少期

ー 幼少期から絵を描かれているということですが、その感覚というのは当初から身に付いていたものなんですか?

僕は3歳ぐらいから、とにかく何を見ても描きたくて、新聞紙が落ちていても、クレヨンとかあればすぐに描いていたらしいです。4歳ぐらいの頃、小学校の教頭先生が絵の教室をやっていたので、兄たちについていって一緒に描いていたんですね。そこではみんなの絵を並べて、黒い色を使っていたりすると、「そんなものはないんだ」と言って茶色と青で直すんです。みんなはそれを神妙に聞いているのですが、でも僕は「なんてことするんだ!」と思いました。結局不愉快になってやめてしまいましたね。

母に連れられ岡田先生のアトリエに

それで家で描いていたら、近所にすごく有名な絵描きがいるというので、教育熱心だった母親に手を引かれて行ったんですよ。それが岡田謙三先生です。うちは貧乏で、母も内職をしていたのですが、僕は病気がちでちびだし、戦後の大変な時期にこのままでは育たないんではないか、何かひとつ得意なものをと思ったんでしょうね。それが5歳の時です。

行ったら、そんな時代に洋館の立派なアトリエがあったんですね。「子供の来るところじゃありません」と言われたのを覚えています。でも半年ぐらい経って行けることになりました。母の作ったズックのカバンに絵の具を入れて、舞い上がっていましたね。アトリエには10人位の大人の生徒さんがいて、ヌードを描いたり花を描いたりしていました。いいところの奥さんのような人が多かったですね。

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天才のオーラが才能を開花させた

岡田先生は、絵に手を入れるなんて絶対やりませんでした。余計なことを一切しないで、後ろに立っているだけなんですよ。だけど、彼が立っていると気分が高揚して、体が温かくなってくる感じがして、どんどん描けるんです。今思ってみると、これが本当の天才なんでしょうね。以心伝心で、たぶんオーラが伝わっていたんです。幼児って敏感だから、天才である先生の、その薫陶を無言のうちに受けていたんですね。

たぶん僕は、その頃に絵についての絶対音のようなものを持ったのだと思います。 誰も恐れないんですよ、これについては。何かを見て、感じるとガッと描き出すというものが、子供の中にも何かあったんでしょうね。6歳のときには、アメリカのLIFE誌に僕の絵が載ったんですよ。子供の持っている何かと天才の持ってるオーラがスパークして、今日の僕ができたのかと思います。

岡田先生のことを、僕は人生で最大の師だと思っているんです。先生のところに通ったのは2年間で、7歳の時に先生はアメリカに行ってしまいました。

英語の苦手な学生が上級通訳に

ー 大学生の時に、東京オリンピックの上級通訳で活躍されたということですが、その辺りのことをお聞かせいただけますか。

大学3年生の時、オリンピックの学生通訳に応募したら、何万人もの学生の応募者の中から選ばれた250人くらいの学生通訳の中でトップ10人に選ばれたんですよ。その10人は主要国の団長付きの資格が与えられたので、オランダの団長につこうと思ったんです。ところがその団長は、「オランダ語の通訳が欲しいから、英語通訳は八王子の競技会場へやってくれ」って言ってきたんですよ。

すると与謝野事務総長は、オランダの団長に通訳つけなかったんです。そして「我々が採用した青年は、そんなものに使わせない」といって優遇してくれました。団長付きにしか与えられない車も、3カ月間自由に使うことができましたね。

外国人に声をかけたのが英語を始めるきっかけ

ー 高校時代は英語が得意ではなかったとか。

慶應の普通部(中学校)では受験成績一番の学生を第一級監にしていたので、私はおそらく学校全体でトップ5の成績で入ったと思います。でもその後は入学試験はないし、高校時代は体育会でしたから、どんどん落ちてしまった。受験で入ってきた人のほうがずっと学業の実力があったですね。

ペンキ塗りのアルバイトに来ていた大学生から「きみ英語やりたいなら、外国人と話さなきゃダメだよ」と言われて、その一言がずっと頭にありました。ある日、総武線の電車に乗っていたら、 御茶ノ水あたりで水色の軍服を着た空軍の軍人らしき外国人がいるのに気づいたんです。「これは!」と思いました。

新宿までしかチャンスがない。四ツ谷で悩んで、千駄ヶ谷で悩んで、思い切ってポンポンと叩いたんですね。「May I speak with you in English?」と言ったら、「Sure」って。 自己紹介したら「So what?」って。それぐらいの会話だったのですが、「おお、喋れた!」と思って、ルンルン気分で飛んで帰りました。それが高校2年だから、出遅れていますよね。

自分の英語力は中2レベルだった

大学では英語会に入ったのですが、受験で入ってきた人たちは資本主義がどうだとか英語で語れるのに、自分は簡単なことしか言えない。高校の教科書を読んで勉強しようと思ったんですが、自分には難しいんですよね。ここなら分かると思ったのが、なんと中学2年の教科書でした。だから、学力は中2だったんですね。これじゃだめだと思って、英語会で仲間に「I shall return!」って言って本叩きつけて、部屋を出てきたんです。米軍のダグラス・マッカーサーが言った言葉ですよね。今からリベンジするって宣言したわけですよ。

コンテストに向けて英語の猛練習

リベンジの為に、コンテストに出ようと考えました。自分の好きな旅行や絵のことを書いて、まず自分で英訳して、宣教師の所に行って直してもらい、テープに録音してもらいました。それを電車の中でも歩いている時も、1日に30回ぐらい暗唱した。紙に書いたものも肌身離さず持って練習して。

それを2ヶ月繰り返したわけです。声色も宣教師にそっくりになるように。できれば目の色が同じになってくれないかと思ったぐらい。それでコンテストに出たら、ニューヨークで育った学生に勝っちゃったんですね。それで慶應の英語会全体を仕切ることになって、そのあとオリンピックになったわけです。

英語力は力になった

ー すごいですね、一歩一歩が。「くそっ!」と思ったことが、突き抜けていますよね。それに芯があって。今の時代の人たちは、何かやりたいと思っていてもなかなかできない人が多いと思うのですが。

普通はそうだと思いますが、どうしてでしょうね。とにかく外人と話したかったというのがあったんですね。それからも、そのことは私の助けになりました。フルブライト奨学金を受けてコーネル大学に行けることになりましたし、そこでの最初のテストでもトレーニングいらないと言われて、すぐにドクターコースのワークショップに行けましたから。

アメリカでは「話してなんぼ」

ただ、行ってしばらくしたら先生に「君はこんなパフォーマンスだったら、発言が少なすぎて成績付けられない」と言われたんです。「これが続いたら、コーネル大学にはいてもらえないかもしれない」と言われて、ショックでしたね。

どうしてだろうと思って、それから2~3回ワークショップを聞いていたら、確かにみんなよく発言してるんです。でも、僕から言わせるとバカみたいな発言で、こんなことなら言わなくてもいいじゃないかと思って聞いていたんですよ。アメリカというのは自己主張しないと、いないのと同じになっちゃうんですね。それに、先生が何か言い終わると、すぐパッと手が上がるんです。手が上がった順から指しますからね。

こんなことで落第するのは嫌だから、じゃあっていうんで、僕は先生が話し終える前から手を上げるようにしました。ちょっと前置きを言って、その間に自分の意見を考えて述べると、「なかなかいいこと言う」って。毎回、毎時間必ず僕が独占した。20回ぐらい。他のやつに喋らせない。そうしたら◎Aで、すごい奨学金もらいました。もう、戦いだったですね。

英語で何度もたずねたことがディベート力に

僕は日本で英語を勉強しましたから、ヒアリングはなかなかうまくいきませんでした。何か言われても正確に分からないので、「君の言ったことはこういうこと?それともこういうこと?」と繰り返して5回ぐらい聞いたところでやっと「そういうことだよ」と言われる。そんな会話を繰り返していましたから、普通のアメリカ人の5倍か6倍は喋りまくっていたのです。これって、それなりにディベートになりますよね。

これがすごくパワーを発揮したことがありました。何十年か後に、OECD(経済協力開発機構)の議長をやっていたときのこと。ルーマニアやリトアニアの代表が何か言ったとき、「あなたの言ったのはこういうことですか?」とゆっくり、威厳をもって言うんです。大学のときは、わからないから聞いているんだろうと思われていましたが、これを議長が言うと、「君の言うことはこういうことなんだね、正確に言ってごらん」みたいな、そういう感じになるみたいなんですよ。言われた方は“Yes, sir.”ですよね。

そんなわけで、OECDではでかいツラしてました。OECDの社会労働局長に推薦されたこともあるんですよ。結局そのときはならなかったんですが、政府の役人以外が局長になるのは普通ありえない。そういうことを繰り返して今日に来ているので、総武線の中でちょんちょんとやったことで、すごい、1億倍ぐらいの効果があったわけですね。

「日本経済 瀕死の病はこう治せ!」

ー このほど、「日本経済 瀕死の病はこう治せ!」という本を出されましたが、ものすごくわかりやすいですね。さらに、自分が持っている情報も全部、きちんと上書きしてもらった感じです。

内容については、ほぼ最新だと思います。それから多分、最も正確なんじゃないでしょうか。

日本の財政問題は深刻だ

日本の、長期的に見て一番深刻な問題は財政問題だと思います。財政赤字があんまり酷いので、国債を発行して大きな赤字を作っていますが、これって借金ですから、次の世代がどこかで払わなきゃいけない。まだ生まれてもいない世代に多額の税金をかけているのと一緒です。

生涯のうちに自分が納める税金や社会保険料と、受け取る年金や社会保障を比べるとどうなるかというと、僕ぐらいの年では4000万ぐらいのプラス。30代か40代ぐらいで収めたのと同じ0で、それからどんどん下がってマイナスになっていって、今年あたり生まれたばかりの人は、すでに1億円ぐらいの借金があるんですよ。これってないじゃないですか。こういうことをしてていいのか、というのがひとつありますよね。

「日本経済が破綻するっていうけど、一度も破綻してないじゃないか」という人はたくさんいます。だけど、5年か10年に1回ぐらいは、そこそこの国が破綻をしているんですよね。2000年のロシアの破綻は深刻でした。アメリカと並ぶ二大大国だった国が、食料も手に入らなくなって、国際的に借金の踏み倒しをして信用を失いました。あの時、一人当たりのGDPが半分近くに減って、いろんな後遺症が10年ぐらい続いたんです。

日本では国民が犠牲になった時代があった

日本は戦争中、戦費調達のために国債をどんどん出していました。政府としては返す約束をしていましたが、戦争で負けて焼け野原で返せない。それでどうしたかというと、国民が持っていた資金を、3連打で全部吸い上げたんです。最初は預金封鎖。銀行に入っているお金を、一人1ヶ月100円という、生きていくのにギリギリの額しか出せなくした。でも預金せずに持っている人は出せました。そしたら 次に新円切り替え。紙くずになるといえば、みんな家にあるお金も持ってきますよね。極めつけは財産税。最高所得クラスの人は90%ですよ。

だから国民の財産、僕の推計では85%ぐらい持っていかれました。それを全部戦争中の負債に当てて、帳簿上返却したような形にしたから、デフォルト(債務不履行)にはなってないんですね。

つまり、日本は独立国になろうと思って頑張っていたわけですから、そこでデフォルトしたら国際信用ゼロです。だから国民が犠牲を払ってこれを回避したというのが、70年前にあるわけですよ。これからもそういうことが全くないとは保証できない。だから、大いに警鐘乱打しなければいけないということをこの本に書いたわけです。

打開するにはいろんな手がある

これを克服するにはどうしたら良いか、いろんな手があるということを、この本にはたくさん書いてあります。

ー 「日本危ないぞ」と言うだけの人は多いですが、「こういう提案があるぞ」というのをこれだけ網羅してあるのは、すごいなと思います。

珍しいですよね。その理由の一つはこうです。僕はこの問題には素人です。専門家は財政や、金融、社会、医療や教育などたくさんいらっしゃって、それぞれの立場から「財政危ないよ」と言っている。でも、専門外のことにはタッチしないんですよ、色々複雑ですから。これを全部カバーしている人っていないんです。この本はカバーしてるでしょ。

ー そうなんですよね。「ここまで書いてあるんだ」と思って読ませてもらいました。

素人も日本の財政を数字で知るべき

金融の話でいうと、日銀の黒田総裁がマイナス金利大変だと言っていますが、日本の銀行はもっと真面目にマーケットよく見て、もっともっとよく調べて、そしてお金を必要としている企業にお金を貸していくということが本来あるべきだということなんです。日本の銀行は、あんまりよく調べないし、お金を貸さないんですよね。

その原因は何かというと、実は民間銀行は、日銀に当座預金をすると金利がついてくるんですよ。日銀に350兆円も置いているから、それに0.1%の金利がつくだけで3500億円です。それを何十行かで分けても、何十億円という収入が入ってくる。だから黒田さんは、日銀の当座預金の一部に、マイナスの金利をかけて「置いとくと減るから流通させて」というわけなんです。

そういったことを具体的に書いた本ってあまりないんですよ。この本は内部の専門家にいろいろ聞いているから、正確なんです。財政赤字をいう場合も3種類の数字があって、定義が全部書いてあります。金融の専門家だけが詳しく知っているというのは、フェアじゃないですよね。そういうのは全部書いた方がいいじゃないですか。

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借金は国民が払うしかない

社会保障についても、素人だけど本当の素人じゃないので、結構よく分かって書いています。日本は政府の借金が1300兆円ぐらいあって、日銀も今400何十兆かの借金を持っているわけです。日銀は、本当は厳密には独立しなきゃいけないのですが、国家とほとんど一体みたいになっていますよね。

だからこのさい、日銀の借金チャラにしたらどうかという話もありますが、これをやるとものすごいインフレになると思うんです。借金を日銀が買い取るわけですから、とんでもないことになる。やっぱり、一方で財政の無駄を排除しながら、他方で国民が払う以外ないんですね。

皆で一律に払っていくのが公平

だから終戦直後のように取られるのではなくて、国民が消費税の形で払っていく。僕は、所得税で取るのはいけないと思っているんですよ。稼いだ人から取ると働き盛りがやる気をなくすし、やれなくなっちゃいます。だから、年寄りだって貧乏人だって、みんなで消費税を払ったらいいのではないかと思うんです。

所得税についても、ほんとは一律がいいと思っているんです。その方が公平ですよね。金持ちになればなるほど上げていくと、意欲なくなっちゃいますからね。所得税ではあまり取らないで、消費税でうんとお金を取る。ヨーロッパでは、みんな20%や25%が当たり前でやっている。その代わり教育も医療も全部タダですよね。

信頼できれば国民は答えてくれるはず

だから、社会契約ですよ。政府を信じて、払うものは払う。その代わりそれができた暁には、教育もタダになるし、医療もタダになるし、絶対安心だと。そういう時代に、日本はさしかかっていると思うんです。来年からやった方がいいですよ。2%とか3%上げると、この機会に買っちゃおうとか過激な反応がおきますけど、毎年少しづつ必ず上がっていくとなれば、しょうがないから進学も結婚も人生プランも、全部それに沿ってやるじゃないですか。

政治家は選挙ばかり考えてやってないで、自分の政治生命をかけて、国民に問うたらどうかと思います。「あなたの子供や、生まれてくる子供、孫に、こんなに借金をつり廻して負担をかけていいのでしょうか。どうですか?」って言えば、半分ぐらいの国民は、本当に信頼できるなら払うって言いますよ。 選挙のたびに消費税反対だとか凍結だとか、そんなこと言っている場合じゃないんです。

今は財政再建を優先すべき

今憲法とかいって、わかってもいないのに国論が割れて、無駄な議論ばっかりしているじゃないですか。国会が対立して、人のあら探すようなことばっかりで止まったりして。日本人は憲法をあんまり信じてないんです。要するに、憲法があっても、融通無碍で何でもできちゃうんですね、やろうと思えば。だから、今問題は憲法とかじゃなくて・・・。

憲法改正って重大問題ですから、なぜこういう風に書かれてきたのかとか、明治憲法はどうだったのかとか。一人でも多くの人がもっと勉強して、時間をかけて熟慮して、条件が整ったうえで議論していくべきだと思います。それより今の日本の財政、この状況でいいのかっていう話ですよね。

歴史や世界で語られている時事といった事を、きちんと伝える場を今後作っていきたいと思っています。

【略歴】
島田晴雄(しまだはるお)
1943年生まれ。65年慶應義塾大学経済学部卒業。70年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。74年ウィスコンシン大学にて博士号取得。現在、首都大学東京理事長、慶應義塾大学名誉教授。経済企画庁経済研究所客員主任研究官、フランスESSEC(経済経営グランゼコール)交換教授、米国MIT訪問教授、富士通総研経済研究所理事長、日本フィルハーモニー交響楽団理事長等を歴任。2001年9月より5年間内閣府特命顧問。専門は労働経済学、経済政策。『労働経済学』(岩波書店)、『ヒューマンウェアの経済学 アメリカのなかの日本企業』(岩波書店、サントリー学芸賞受賞)、『日本の壊れる音がする 今なら、まだ間に合う』(朝日新聞出版)、『岐路 3.11と日本の再生』(NTT出版) 、『盛衰 日本経済再生の要件』(東洋経済新報社)、『日本経済 瀕死の病はこう治せ!』(幻冬舎)など著書多数

島田晴雄公式サイト
youtube島田晴雄チャンネル