父親の死から歯車を狂わせた男の復活劇

父親の死から歯車を狂わせた男の復活劇

「復活の原動力はモチベーションを作り上げることから始まる!」を信念に、失敗と挫折を乗り越え、モチベーション業界に独自のメソッドを投じ、密かに雑誌やテレビなど各種メディアに取り上げられるなど、これから間違いなく多くの人が目にするであろう、業界で今一番勢いに乗る男「40歳からのモチベーター、モチベーションプロコーチ代表の井達栄一(いだてえいいち)氏」に、プロの流儀をとことん聞き取らせていただきます。

井達栄一

父親の死でどん底へ

ー お会いした時から「とても頼りになりそう!」という印象を受けます。そういう雰囲気も含めて、業界で注目を集める要因となっている様に感じるのですが?

ありがとうございます。自分ではあまり意識はしていないのですが、そう言っていただけると嬉しいです。

ー いきなり踏み込んだ質問なのですが、21歳という若さで経営に携わったと伺ったのですが、きっかけは何だったのでしょうか?

私が幼少の頃から父親が建築業を営んでおりまして、ゆくゆくは後を継ぐような形で話はまとまっていたので、高校卒業後他県に修行に出ていました。

ところが、21歳の時に父親が交通事故で突然亡くなりまして。

21歳で残された会社の後を継ぐ

ー お父さんが亡くなって、21歳という若さで会社を継ぐことになったという事なんですね。

会社の主な業務は鉄筋業でしたから、まさに職人といわれるような人たちの集まりで、従業員も15人くらい抱えるような会社だったんです。

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ー21歳の駆け出しが、職人さんをまとめるのはきっと大変だったと思うのですが、どの様なことが一番大変でしたか?

何十年もその業界で働いてきた職人さんを、21歳の若造がまとめるというのは、想像を絶するほど大変でした(笑)。でも、それ以上に何が大変だったかと言いますと、そもそも働くという意味が全く分かってなかったということでした。

ー 働く意味が分からないというと?

建築関係はある時期バブルを経験していたので、我が家は私が子供の頃からある程度お金のある家でしたので、どちらかというと裕福な家庭で育った結果、お金に対する危機感といったものが一切なく、いきなり会社の代表というか、取締役で入ることになったので、お金の感覚が全くわからなかったんです。

例えばお金の動きや業界の相場とか世の中の仕組みも、もうすべてが分かりませんでしたね。母親も一緒にやっていたのですが、父親が突然いなくなってしまったもので、母親もうつ状態みたいになってしまいまして、聞くことも出来なかったのです…

不安を隠しながら乗り越える日々

ー お父さんはおいくつだったのですか?

父親は46歳の時に亡くなりました。とにかく全てが突然の出来事でしたので、本当にいきなり大きな海に一人で放り出されたような状態でした。

でもやらなきゃいけない…やらなきゃいけないのだけれどもやれない…やってるフリをしながら、毎日パニックみたいな状態でしたが、誰にも相談できませんし、職人にも弱みを見せることも出来ませんでしたので、分かっていないことも、全ての不安を隠しながら日々を乗り越えるという感じでしたね。

ー 建築関係と聞くと、海千山千の強者の集まりというイメージがありますが、結構痛い目見ましたか?

結構どころか、だいぶ痛い目を見ました(笑)。

普通に手を差し伸べてくれていると思った人に、平気にお金をだまし取られたりですとか、僕にしている話しと、裏で全く違う話しをしてるというのを廃業してから知るとか。身近な人はそんな人ばっかりでした。

ー 当たり前ですが、身近にいる社長はみんなその当時の井達さんより年上ですよね?

そうですね、みんな父親よりも年上の人達ばっかりだったのですが、表面的には本当にかわいがってくれている感じだったのですが、後から考えれば「うま~く使われたな!」というイメージしか残っていないですね。

騙された人を恨むよりも無力さに悔しさを感じる

ー 人間不信にならなかったんですか?

人間不信にはなりましたけど、人を恨むというよりは、自分の足りなさというか、そういうものがすごく身に染みて、何も知らなかった自分が悔しかったというか。そういった自分の不甲斐なさを感じることの方がものすごく大きかったですね。

ー お父さんの仕事の跡を継いで、そのお仕事はどのくらい続けたのですか?

21歳の時に継いで25歳まで仕事を行っていたので、約4年間ぐらいです。

ー 父の会社を継いでから4年で清算し、その後自身は会社員として勤めるわけですね?

会社員として金融業や不動産関係で6年間ぐらい働きました。会社員として働こうと思ったきっかけが、やはり何も知らない人間の元には、ハイエナが集まってきて全てを奪い取っていくということが分かったので、「世の中を知らなきゃいけない。」と感じたことが大きかったと思うのです。

それでまずは、お金で騙された経験も多かったので、金融業に携わりお金の勉強をしようと思い、金融業に携わることにしたのです。

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子供のために背中を見せる

ー 一般的な話ですと、痛い目にあったりすると、人間不信になってしまう場合が多いと思うのですが、そこで切り替えて、「よし、前に進んでやろう!」と思う原動力というのは、今振り返ると何だったのでしょうか?

その当時、私には手に入れたい夢と言いますか、未来がありまして…

幼少期の思い出の中には、父親がある程度いい生活をさせてくれたという経験上、子供ながらに「自営業は稼げるぞ!」と、なんとなく肌で感じていたんです。

ですので、やはり自分自身もそこに行きたい、という思いはものすごくあったんですね。会社を継いだ時は、それが叶わなかったんですけど、やっぱりその手入れたい未来をあきらめられなかった。

だから、会社員として働きながらも、独立してやろうという気持ちはブレずに、未来の勉強のためというのを忘れずに頑張って働きました。

可愛がられると出世する

ー その後起業されていくと思うのですが、会社員時代に学んだことで、「起業してお金を稼ぐことに役に立ってるな」ということは何かありますか?

サラリーマンとして働いたことで役に立ったことは…そうですね…何を学んだか…可愛がられると、出世するということですかね。単純に(笑)

ー 返答まで少し悩ませてしまったようですが、実務的なことで役に立ったことはちょっと思い出せなかったようですね(笑)。でも、可愛がられるって大事ですよね。

仕事ができる人間がどんどん引き上げてもらえる世界っていうのを、見たり感じることが出来たので、仕事を思いっきりやって、人一倍やることが報われて、出世はするんだなっていうのを知りました。もしかしたらそうじゃない会社や業界というのがあるのかもしれませんが、私自身としては、ガンバリが報われるということを直に経験できたのは良かったです。

井達栄一

ー 可愛がられると言うのは簡単だと思うのですが、何か可愛がられるコツみたいなものってありますか?

素直に話してみたら良いんじゃないかなと思います。自分はこう思っているというのを、話せるか、話せないかというのは、大きいと思います。

私は結構感情が顔に出てしまうタイプだったので、イライラしている時なんかもすぐ顔に出てしまっていたのですが、そんな時でも上司が声をかけてくれて、「思っていることを話せ」みたいな会社だったので、そういうことが結果的に素直に話すことの大切さを学ばせてもらったのだと思います。

伝わらなければ、誰も理解してくれない

ー 素直に話すと相手の反応というのはどうですか?

話すと「ダメなことはダメ」と言ってもらえますし、今まで黙って言わなかったことで、伝わっていなかったことがほとんどだということが分かったのです。「思っていることを相手に伝えると理解してもらえる」ということが分かりました。
本当に当たり前の事ですが、大人になればなるほどでもできない人が多いような気がします。

ー 「伝わらなければ、誰も理解してくれない。だからきちんと伝えなければならない。」ということですね?

そもそもの話しになってしましますが、会社員として一生働いていこうと思っていなかったのも、良かったんじゃないかと思います。「チャンスがあればすぐにでも辞めてやる!」というスタンスでいたので、正直に話すことが出来たところもあるのかもしれない。「とにかく思っていることを正直に話す」というのは大事ですね。

ー 言わないと伝わらないというのは、現在のお仕事にも通じるところがありますか?

ものすごくありますね。独立したからといって、一人でビジネスを進めることは出来ません。やはり仲間であったり、自分の先輩であったり、先生という方がいますので、その方々に自分の思っていることを伝えるというのはすごく重要なことだと思います。

そういった方たちに自分の考えを理解してもらっているというのは、一番大切なことだと思います。素直なのは、会社員とか代表者とか社内のポジションに限らず大事なことなんじゃないかと思います。

ー 伝えたいと思っていても、なかなか伝えられないという人もいると思うんですが、そういう人にアドバイスはありますか?

意を決めて伝えるのが一番なのではないかと…

ー でも、怖いと思うんですよね。

やっぱり人は否定されるのはすごく嫌だと思うんです。自分の考えとか言ってることを否定されるというのは、誰でも怖いですし嫌だと思うんです。

例えば自分がなりたい人とか、目標にしている人、教えてもらう人に対しては、やっぱり正してもらうことが必要で、自分が思っていることを、ちゃんと違うと言ってくれる人には、僕は否定されていいんじゃないかと思います。否定されることが大事だと思います。

負の連鎖を断ち切る

ー 否定される恐怖心をクリアするコツは何かありますか?

私の場合、モジモジしていても始まらないというか、モジモジしてることで、余計に怒られるのが嫌だったというのがありました。

井達栄一

ー 確かに気持ち悪いですよね。

そうなんですよ、気持ち悪いんですよ!

わからないことをわからないまま続けても、もっと怒らるし、結果を出せないし、それで負の連鎖を生んでしまうんですね。それであれば、怒られたりムダな失敗をする前に、先に怒られちゃおうって思っちゃうんです。「わかりません。教えてください!」といって怒られた方が気が楽です。

再起をかけた勝負に出る

ー そういった会社員時代を経て、31歳の時にラーメン屋を開業されるのですが、突然起業しようと切り替わった瞬間というのは何だったんですか?

会社員からラーメン屋に切り替わった瞬間というのは、私が金融業で働いていた時の上司(その当時の支店長)に、「ラーメン屋をやりたいから、会社をやめて一緒にやってくれないか?」と誘われたのです。

ー 誘われて、どのように思いましたか?

私は上司の方を信じていましたし、会社員として6年ぐらい働いていましたが起業するきっかけもなかったので、「そろそろ飛び出してもいいのかな」という思いがありました。それでお互いにお金を出し合って、一緒にラーメン屋をやることになったのです。

ー 渡りに船ではありませんが、いいタイミングで声をかけてもらえたという感じですか?

そうですね。サラリーマンという世界から飛び出すきっかけにはなりましたので、うまく背中を押してもらったという感じです。

3か月で大繁盛店に!9か月後に使い込みが発覚

ー そういう経緯でラーメン屋を始めてどうなりましたか?

オープンから3か月で、大行列ができる店になりまして、店を開けて4時間ぐらいで10万円を売り上げる店になったんです。

「これはすごい!」ということで、3店舗ぐらい出していこうという目標を立てたんですね。「やっと復活できる!」共ったのを覚えていますね。

ところがオープンから9カ月程たった時に、一緒に始めた元上司が店のお金を使い込んでいたのが発覚しまして…。気付いたときには稼いだお金も無くなっていまして。

それで「お金に手を付ける奴とは、結局一緒に仕事はできない!」ということで、結局は僕が店を離れる形になりました。それがオープンから1年後のことです。

共同経営はうまく行かない

ー 店を離れた後も、そのお店は営業を続けていた?

頑張ってやるとは言っていたのですが、私がほとんど切り盛りしていた店でしたので、私が離れて3日後に店を閉めて、そのまま潰れてしまいましたね。

ー ここでもお金のトラブルですか。騙されちゃったという感じですか?

そうですね。相変わらず見る目がないというか(笑)

ー そのラーメン屋さんの後、井達さんはどうされたのですか?

私がラーメン屋をやめるという話が出たころに、私の実弟がさいたま市で総菜屋をオープンさせたいということで、ここでも声を掛けられて一緒に店をやることになったんです。

さらに再起をかけるも3か月で暗礁に乗り上げる

ー 弟さんと一緒なら安心できそうですね。

まあやりやすいかなと、安易な気持ちで始めました。店のプランニングなどは、すべて弟が主体でやっていたのですが、一等地に家賃だけで数十万円するようなすごく大きなテナントを借りたんです。

準備だけでだいたい1300万円ぐらい使いまして、華々しくオープンしたんですけど、オープンして3ヶ月後に売り上げが予定の半分しか達成することができなくて…

ー その状況はどのくらい続いたのですか?

そこから4年間続けましたね。続けたと言うよりは4年間なんとか凌いだと言った方が正しいのですが(苦笑)。

ー 売上げが予定の半分しか立たない。その時どうされたんですか?

売上げが全く足りないと感じた時、まず一斉に人件費を削りました。20人いたパートさんを5人まで減らしましたね。まずやれることはそれだけでしたので。人件費を削ったあとは売上げを上げるために、チラシをひたすら撒き続けるのですが、そもそも何の計画性も無いのでよくわからない状況になっていました。

ー チラシを活用したことでお客さんは増えたのですか?

お客さんが増えたとか正直分かりませんでしたね。反応のあるチラシの作り方どころか、その当時は反応率ということもわからなかったので、実際チラシの効果がどのくらいあったかもわからなかったんです。何もない中で、ただやみくもにやっていただけというような感じです。

三度目の正直は借金1500万円という結果に…

ー 人件費を削ると自分で働くウエイトがものすごく増えるじゃないですか?それはどうやって凌いだのですか?

総菜屋は品目が多くて、朝の2時くらいから仕込みを始めないといけなかったのです。店の閉店時間は20時で、従業員を減らしてしまったので、仕込みは私と弟がやらなければならない状況になっていました。

オープン当初は毎日家に帰れていたんですが、パートさんを削った瞬間から、月に2回しか家に帰れなくなりまして、店で寝泊まりお風呂は銭湯もしくはシンクという生活が始まったのです。

ー それを4年間ですか!4年間続けたにもかかわらず、「もうやめちゃおう!」と思ったきっかけは何かあったんですか?

きっかけは2つありまして、兄弟2人で毎日店に寝泊まりしていたところ、ます最初にメインの弟の方が、精神を病んでしまい、働けないという状況になってしまったのです。

そうなると、月2回どころか全く家に帰れない月もあったりという状況になるんですね。僕が始めた店ではないのですが、僕が全部背負ってやるようになってしまったというのがあって。それを見かねた母親が、アンタ何やってんだという話で(笑)

気づかされた母親からのひと言

「アンタそこの店で人の為に働いていてもしょうがないんだから、違う道を考えなさい。」という母親の一言が、最終的には店を閉めるきっかけとなりましたね。

ー もしお母様に言われなかったら、どうされてました?

言われなかったら、続けてたかもしれない…。ただ私もその時は、睡眠薬じゃないですけど、そういうのがないと眠れない状態の時もあったので、自分では限界だとは思ってませんでしたが、恐らくどこかで破綻していたかもしれないですね。

ー この事業は借入をして始めたのですか?

1500万円の借入をして全部使いきってしまい、総菜屋の4年間で何とか200万円ほど返済したのですが、そこが限界でした(笑)

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諦められない理由

ー 今もご自身でビジネスを立ち上げているわけですが、普通そうなると「もうやりたくない。商売も何もやりたくない!」とならずにチャレンジを止めなかった理由は何でしょう?

やはり夢の力というか、その時にはもう自分の子供がいたんですが、「私が幼少のころ父親にさせてもらった生活を、自分の子供にもしてあげたい。」という思いが強くて。

自分が良い思いをしたものを、子供にさせてあげられないのは義務違反というか、そんな気持ちがあったんですね。だから、何とか頑張ることで、「子供たちに少しでも良い思いをさせてあげたい!」という夢じゃないですけど、そこに根本というか原動力がありまして…

家族を幸せにしてやる!

そのためには会社員として働いて、20万円とか30万円稼ぐことではなく「時間とお金があるという生活」を何とか自分の力で手に入れたいという思いが、本当にチャレンジする原動力となっていました。

ー 今まで失敗、失敗、失敗の連続だったと思うのですが、今はどの様な仕事とライフスタイルを送られてるのですか?

今まで起業して来た業種は飲食業だったのですが、現在はリサイクル業とモチベーションコーチとして今までの失敗から復活してきた経験から、独自のメソッドを作り上げ、講演などでお伝えさせてもらっています。

ビジネスも順調に推移し、その当時では考えられないほど心豊かな毎日を送っていますね。もちろん、子供にも少しは感謝されるくらいにはなっていると思います。実際どう感じているかは、もう少し子供が大きくなった時に聞かないとわかりませんがね(笑)

復活の兆し

ー 失敗から復活するのは楽な事では無いと思うのですが、復活したきっかけは何があったのですか?

本当に復活することが出来たきっかけは、師匠が現れたとことです。漫画ではありませんが「師匠が現れた!」みたいな(笑)

ー 失敗していた時と師匠に出会ってからというのは、決定的に何が違うのでしょうか?

何が一番大きな違いかというと、ちょっと誤解を生むかもしれませんが「お金を稼ぐのは博打ではない!」ということがわかったことですね。こういうことを言うと「当たり前だろ!」と言われるかもしれませんが、お金をきちんと稼いでる人というのは、きちんと稼ぐ仕組みを作った上で稼いでるということです。

今までダメだった理由を知る

私が失敗してきたように「今日はお客さん来るかな?どうかな?」というような仕事であっても、きちんとロジックを入れなければ結果を出すことが難しいということが初めて分かったのです。失敗という実体験があるからこそ、そういった話を聞いたとき「今までダメだった理由」が全て理解できたのを覚えていますね。

私自身は「あきらめない力」とか「行動力」は何も変わっていないのですが、そこにたったひとつ、「お金を稼ぐロジックと方法」を叩き込んでもらったことで、物の見え方が変わっていったのです。

その結果、人生が180度変わるほど全てが素晴らしい方向へ動き始めたんです。目から鱗じゃないですけど、本当にすごいと感じましたね。

ー 普通であれば、今まで多くの人に裏切られたりしたことで、人間不信になってしまうと思うのですが、そんな中で師匠を見つけて、その師匠を信じていこうと思うというのは、なかなかできることではないと思うのですが、なぜその師匠との出会いを引き寄せることが出来たのでしょうか?

ちょっと恥ずかしいのですが、正直に言うと失敗が続いていても心の奥底では、自分にはすごく自信があったんです。「俺がやったら絶対うまくいく!」「俺がやったら絶対稼げる!」という思いでやってきたものが、結果的に恥ずかしながら何ひとつとして上手くいかなかった。

夢や目標を手放すのはいつでもできる

その現実を現実として受け止めなければならなくなった時が、総菜屋を閉めた時だったんですね。

その時は、夢をあきらめようと思ったこともあって、「俺は夢を追いかけてはいけないんじゃないか…夢をかなえられない人間なんじゃないか」という風に思っていたんです。今思い返すと、本当に心が折れる寸前だったと思います。

それでも現実は目の前にあるわけで、うだつの上がらない自分の現状やネガティブな感情も含めて、全てを受け入れるのはものすごく辛かったのですが、結果的にはそれが良かったと思うのです。今までのダメだった結果を、自分でなんとか受け入れることができたことがすごく大きいのかもしれないです。

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ー 自分の弱い部分や出来ていない部分を受け入れるというのは、言うのは簡単ですけど、ものすごく難しいと思うのですが、心がけの様なものはありますか?

私はビジネスを主としての話しになってしまうのですが、結局はプライドの持ち方だと思うのです。

失敗してきたことに対して、私はプライドなんて全く持っていなくて…所詮上手く行かなかったことなんていうのは、どうでも良いと言うわけではないのですが、それは単に上手く行かなかっただけのことだと思うのです。「次の糧にできればオッケー」みたいな。

例えば、結果の出ないやり方にこだわっていたり、やってきたことにプライドを持ちすぎて結果が伴っていない人を見ると、「すごくもったいないな」と私は思うのです。そうではなく、私は「結果に対してプライドを持ちたい」から、素直に受け入れようと決めたのです。

結果に対してプラドを持つ

ー 結果に対してプライド…素敵ですね。今現在モチベーションコーチとして相談に来られる方に対して、どういうところに一番焦点を当ててお話をされるんですか?

私が知りたいのは「その人の弱いところ」なんです。みんな強がるんですけど、本当はそんな強くないし、みんな弱いところや自分の嫌な所があると思うんですよね。私はそういうところを見せて欲しいという考え方ですね。

ー 自分の弱いところを見せることによって、モチベーションを無理に上げるのではなくて、自然な状態で形作っていってあげるっていうイメージですか?

「弱いところを捨てるのではなくて、弱いところをどうやって自分の中に取り込んで消化して、そこから抜け出すか?」それをまずやらないと、色々な事にチャレンジし続けることが出来ないと思うのです。「弱さ」と思っていた事が結果的に最大の「強さ」に変わってしまうことだってありますので。

瞬間的にモチベーションを高めることは簡単ですが、本質的な部分をきちんと形作ってあげることが出来なければ、モチベーションは続かないんですよね。

モチベーションを力技で上げることが目的ではなく、モチベーションをエネルギーに変換して、結果を出していくということが目的ですから。そのためのメソッドをお伝えしているのです。

ー 結果を出すためのモチベーションというのは、とても興味深いですね。

私が思うのは、子供にも言うんですけど、「できないことはないよ。」「やってできないことなんて無いよ。」空飛ぶとかそういうのは無理だけど、誰かができていることであれば、そこに行く道は必ずあるし、諦める理由がないと思うんです。だから私はいつでも、本当に誰にでもできるっていうのが自分の信念になってるのです。

だからモチベーションも、どこかから持ってきたものを付け足して無理に上げるのではなく、その人がすでに持っている「心の熱」の様なものを内面から表面化してもらうようにしています。
それがあって初めて外側からの刺激が化学反応を起こし、何倍にもなってモチベーションの効果を高め、結果として最大限に生きてくるのです。

ー 平坦ではなかったと思いますが、今までの経験があるからこそ、モチベーションコーチとしての独自のメソッドが出来、多くの方に求められているということなんですね。

結局皆さん夢もあるし、ほんとはこんなはずじゃないとか、目標もあると思うので、そこに対して素直に向かっていけたら、ものすごく楽しいと思うのです。

可能性は本当に皆さん持っていると思うので、そういったお手伝いを沢山させてもらえたら、僕もすごくうれしいなと思ってやらせてもらってます。

【略歴】
モチベーションプロコーチ代表
井達 栄一(いだてえいいち)
1977年1月、埼玉県生まれ。
父の突然の死により、21歳の時に父の事業を継ぐことになるが、そこからビジネスと人に翻弄される人生を歩むことに。
裏切り、廃業、裏切り、廃業、借金と深い暗黒時代を過ごしながらも、現在は驚くような復活をし成功者の仲間入りを果たす。

暗黒時代から復活した背景には、独自のモチベーションメソッドがあった。現在はそのモチベーションメソッドをさらに体系化し、ビジネスを手段として復活を願っている人たちへ講演やトレーニング講座などの活動を精力的に広めており、業界で最も注目される一人となっている。
(この記事は2018年1月にインタビューされた内容です。)