三澤滿江子が切り開く新たな挑戦!『BONIA』日本進出への情熱とビジョン

ジャングルマァム代表 三澤滿江子(みさわみえこ)さん。QVCジャパンの大人気ブランド「COCCO FIORE」のアートディレクション・ゲストとして16年以上参加されておりTVでご覧になられた方もいるかと思います。その三澤さんが新たなステージを展開した模様。総輸入代理元の佐藤美佐世さんと共に、とことん聞き取らせていただきました。

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伝説的な彫刻家“ジャンボローニャ”の作品に魅了されて

―以前にも登場いただきありがとうございました!

三澤:こちらこそ、ありがとうございました。以前は「コッコペルラ」という革を使った「COCCO FIORE」(QVCジャパンのオリジナルブランド)の話をさせていただきましたが、今年から「BONIA」というマレーシア初のラグジュアリーブランドの日本ディレクターに着任させていただきました。新しいチャプターのスタートです。

― 「BONIA」ですか?失礼ですが、まだ日本では浸透していないような…

佐藤:はい。残念ながら今はそうかもしれません。「BONIA」は本社があるマレーシア・シンガポール・台湾・インドネシア・ブルネイ・香港・ベトナム・中国・タイ・フィリピン等アジアを中心に展開しています。

特にマレーシアでは一部上場企業としては有名な企業ではありますが、日本では正直なところ…これからが本番。という段階です。それには三澤さんの今までの経験などが必要だと私は考えています。

― これから発展していくハイブランド。魅力的ですね。お二人はどのようにつながりなのでしょう?

佐藤:そうですね。その前に私が「BONIA」の総輸入代理元になった経緯を先に、お話させてください。
「BONIA」の創業者であるマレーシア人のChiang Sang Sem氏(以下エスエスチャン)が無名の革職人であった頃に仕事で訪れたイタリアで16 世紀の伝説的な彫刻家“ジャンボローニャ”の作品に魅了されて突如「BONIA」というブランドイメージが湧いたそうです。マレーシアに帰国後、早速「BONIA」ブランドの立ち上げに着手し始めました。

エスエスチャンとの出会いは34年前です。私は当時、コーセー化粧品の海外事業部におり、マレーシアのヤオハンでカウンターを持って販売をしていました。そこで「BONIA」を知りました。当時はとても小さかった店舗だったと覚えています。
当時は「あ、BONIAって良いブランドだなと」思っておりました。

その後、私は自分で代理店の事業を興して、商品を探していました。25年前になります。「BONIA」を思い出して、ちょうど開かれていた展示会に顔を出したんですね。

ちょうどその頃、エスエスチャンは「BONIA」をこれから大きくさせるぞ!という時でした。すかさず私は、「日本で売りたいんですけど!」と正面から交渉。

エスエスチャンは「どうやってやるの?やれるの?」という反応でしたので「とにかく持って帰って売ってみます!」とそこで8個仕入れさせていただき、すぐ売れたので、また追加で16個…っと。いういわゆる風呂敷貿易でスタートいたしました。

その後は、本当に「BONIA」は海外でどんどんどんどん大きくなりました。私も日本で頑張って8店舗まで直営店を出させていただきました。

日本人ってどうしてバッグを壊しちゃうの?

佐藤:そんな折に、エスエスチャンは他の国にくらべて日本でのバッグが壊れる頻度が多いことに気づきました。彼の強い要望で、日本の生活習慣を見てみたい。

ということで実際に見に来日してくださったんです。すると彼の感想は「あんなにハードな満員電車に乗って、こんな大変な生活(日本人は)をしているんだね」と納得されました。バッグの裏地がすぐに壊れて破れてしまう事がとても理解できたそうです。

三澤:素晴らしい職人気質ですよね。エスエスチャンは元々革職人ですから、どんな風に使われてどんな手直しが必要なのか、ちゃんとご自身の目で確かめるのですね。

佐藤:イタリアで革の縫製の勉強をされて、もちろんデザインもそうですし、日本向けに色んなものを作ってくださりました。あと右腕だったミス・ウオンさんもです。

ミス・ウオンさんも日本向けに素材から考えていただき、何度も試作を作ってくださり、一緒に日本マーケットを広めるために頑張ろうって始めたのがきっかけです。

もう一回BONIAをやろうよ

佐藤:実は、これからという時に私はとても大きなミスをしてしまったのです。契約の…です。いったんは「BONIA」は日本から撤退するまでになってしまいました。

ですが唯一北海道にある大西時計店さんが、ひっそりと「BONIA」を応援し続けてくれていたのです。そんな私に、大西時計店さんはお声をかけていただき「美佐世さん!もう一回「BONIA」を一緒にやろうよ」とお声かけいただいたのです。

― それが先日(2024年9月10日)開かれた銀座でのオープニングパーティーにつながったのですね。

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「BONIA」人間関係を大切にする会社

佐藤:一緒にやろうと言っていただき、私ももう一度「やりたい!やりましょう!日本でまだ有名にさせましょう!」と奮起しました。すると大西時計店さんは、やるなら銀座で出したい、とおっしゃるじゃないですか。嬉しかったですね。

―そこでオープンされたのが「BONIA銀座ショールーム」なのですね。

佐藤:「BONIA」は日本では無名に近いですがマレーシア、シンガポールでは一部上場企業であまりにも有名で、知らない人がいないほどの企業に成長していたのです。
なのに、エスエスチャンは、そんな大きな会社になっても未だに、私を信じて下さって「美佐世頑張れ!頑張れ!」って言ってくださる。

私は、彼がいるうちは、日本でもう一度有名にしたいって思っております。
そのためには、三澤さんのディレクション能力とデザイン力が必要だと思ったのです。

日本の「BONIA」と現地の「BONIA」と共に良い形で日本仕様のバッグをデザインしていただいて、テレビショッピングや良い媒体に載せて、広めて行きたい、とそんな風に思っております。三澤さん、これからもよろしくお願い致します。

三澤:ありがとうございます。「COCCO FIORE」での私の功績を買っていただき本当にありがとうございます。「BONIA」まだまだ日本では、誰も知らないのじゃないか?と思います。

美佐世さんとは、以前からSNSでは繋がってはいたのですが、このお話を通してくださった方もとても信頼できる方でもあり、ちょうど母が亡くなり、母からの応援と後押しかな、とも思いました。私が25年近く培って来た知識などを、日本の「BONIA」として発展させていきたいですね。

「BONIA」を日本で定着させていくことが、私の仕事

― マレーシアで「BONIA」50周年のパーティが開かれたようですが

佐藤:ええ。私と日本で正式販売代理店になった大西時計店のご夫妻とレッドカーペットを歩かせていただきました。

会場にはアンバサダーとしてtwiceのナヨンさんもいらして、すごい熱気と歓声でした。残念ながら日本は、海外展開から大きく離れていてアンバサダーの契約に入っておらず、宣伝したくても使えないのが辛いな、というのは本音です。

三澤:私も宣材として彼女(ナヨンさん)が使えないのは厳しいな、と思っています。でも、私の仕事は「BONIA」をどうやって日本で定着させていくかということ。

それがディレクターの仕事ですから「COCCO FIORE」の時もコツコツと最初は小さい展示会から始めて、偶然QVCに出会って、爆発的な商品となりました。

ブランドってそういうものだと思うのです。最初からドカーンと当たるものなんてなくて、ストーリーが必要だと私は思っています。

共通点は「イタリア」と「ものづくり」

三澤:私はまだエスエスチャンやミス・ウオンさんにお会いしてないですけどね。創業者エスエスチャンですが、現在は代が変わって、息子さんがあの社長をされていますね。

でも、素敵なのは、息子さんは独自の展開をされていますが、エスエスチャンやミス・ウオンさんは頑なにバッグの制作にこだわり続けてらっしゃる。
なんといいますか、ものづくりへの思いがすごく伝わってきて、私も「一緒にやろう!」と思えたんです。

佐藤:ミス・ウオンさんは、工場長をされていて、ものづくりに徹底されていてものすごい方なのです。今回新しい革をデザインしイタリアで開発されて、それがものすごい綺麗なので、私はそれを日本仕様で、日本人がデザインしたものでできるかどうか検討していただいています。

三澤さんのデザイン画を全部お渡ししていますので、ちょっとそれが返ってくるのが楽しみですね。

三澤:「BONIA」のデザインは素晴らしいですが、日本人には少しサイズが小振りなんですよね。日本で展開するには日本人向けのデザインは必須だと考えています。

どんなに良い革があってもどんなに素材が良いものでも日本人に受け入れてもらえないデザインだと…だから、やっぱり日本人仕様にしていかないとちょっと難しいなってとらえています。

私の中での構想はあるので、どんなジャッジが返ってくるか、今から楽しみにしているんです。

佐藤:「BONIA」という名前もやっぱりエスエスチャンがイタリアで修行していた時にできた名前ですし、イタリアというところでも三澤さんと共通点がありますよね。

イタリアの革を全部使っていたり、イタリアでオリジナルのジャガードを作っていたりとか、そういうことを今もずっとなさっています。

三澤:そうなんですよ。どんな良い革でもデザインは大事ですから。
インフルエンサー使ったとしても、日本人はやっぱりトートバック好きですし、小さいとなかなか…使用する世代の広さでもトートバックじゃないかな、と思っています。

― 日本に来て、生活習慣を観察しにくるような企業であればきっと、良い展開になりそうですね。

三澤: 私だからこそ、私も力を発揮したいな、とおのずと思うのです。物が良いのは確かなのですから。それだけではなく、本当に日本に来て日本人独特のライフスタイルを見て研究なさるっていう行動力の凄さとこだわりを感じました。

またそこについていく、佐藤さんのバイタリティーには本当に頭が下がります。エスエスチャンの下で働いてのですから本当にすごいですよね。

― ブランド作りってそういうところかもしれないですね。

佐藤:今、企業は大きくなって、息子さんの代で一部上場になりましたけど、最初はとっても小さい店舗からですから違いますね。

― コツコツと言えば大西時計店さんも、日本でコツコツと販売を続けられていたのですよね

佐藤:大西時計店さんは、時計以外にも宝飾品の販売もやってらっしゃって、宝石の輸入協会の会長もされてるんですよ。かなり大きい会社なんです。北海道では名士ですね。「BONIA」との出会いは、専務(奥様)がギフトショーで「BONIA」のバッグを偶然に見つけたのがきっかけらしいです。

一目で気に入られて、ちょっと仕入れてみたそうです…私の時と同じですね。6個くらい仕入れて、という形ではじめてみたら、どんどんどんどん売れていったそうです。

たくさんいっきに売れるわけではないけれども、十年間こつこつと大西時計店さんが販売し続けてきたという功績が認められて「BONIA」本社から直接卸売販売を公認されて『日本で唯一のBONIA正規取扱店』としてリニューアルオープンされたとのこと。

もう「BONIA」を語ったら、専務がすごいのですよ。本当にすごい。専務のお話を伺っているだけで、愛が伝わってきます。
例えば、北海道の旭川って雪すごいじゃないですか、ミス・ウオンさんもそれに応えるように雨も雪大丈夫なジャガードにされたそうです。

 

― やはり信頼関係がとても大事なのですね。

三澤: QVCの中ではそんなに安い商品ではありませんでしたが、あれだけヒットしたというのはやはりものづくりをきちんとしたところだと思っています。それは今も私の中の基本なので、お話をきいて私も引き受けようと思いました。

佐藤:銀座にショールームがオープンされましたが、本国マレーシアからは一切資本が出てないんですよ。それだけ「BONIA」を日本で定着させたいとうお気持ちが伝わってきますし、それに私たちも応えていかなくちゃとも思いますね。

今後の展開

― アンバサダーとしてtwiceのナヨンさんを使えないのは厳しいのでしょうか?

三澤:彼女が使えないっていうので結構ね。百貨店さんからは、使えたらいいのにね。とネックになってしまっていますね。それでも勝負はできますから。東南アジアの方々とやっぱり日本人って価値観違うと思っています。

― 差別化はできるということですね。

三澤:そうですね、あの「BONIA」って大量生産しないんですよ。
例えば、ナヨンさんが持って宣伝しちゃうと、そのバッグはもう即完売になっちゃうんですね。だけど、それをしめた!と増産したりしないんです。その代わりにどんどん新しいものに行く。

― どんどんどんどん別の物を作っていくんですね。

佐藤:すごいなと思います。売れたら増産するじゃないですか。もっと売れるって。
世界で今展開しているショップに彼女が持って、ああいうふうにあのインターネットからホームページに出るバッグは途端に完売。お洋服もすぐに完売。だけど、もうそれ以上あの増産はしないです。そこで終わりなんです。

三澤:人気が出たからいっぱい作るのではなくて、もうこれ限りっていう考え方は昔からあるみたいですね。それはすごく素敵な考え方だと思います。私のやっていた「COCCO FIORE」もイタリアから直接革を限定で仕入れていましたから数には限りがありました。

ですので完売したらやはり終了でした。それもブランドとして大きなコンセプトですよね。近い将来、日本限定で50個とかで、そういうやり方で試してみたいな、とも思っています。

佐藤:例えば「BONIA」と三澤滿江子このコラボみたいな感じで、やってみても面白いかな。

― めちゃくちゃ。面白いですよね。新しい展開が見えてきそうですね。東京限定とかイタリア限定とか、そういうことも出来そうですね。

三澤:十個限定で作っちゃいました。みたいに。基本はぶらさずに自由に何かできそうです。佐藤さんのお力を借りながらですが。

全部マテリアルはイタリアというところも、私の指針とも沿っていますし、ものづくりと、あと人を大切にするというところが、「BONIA」を大きくしてあげたいな、日本に定着させてあげたいな、という気持ちに本当になりました。私の今までの知識とかを一緒に共有しながらやっていけたらと思っています。

佐藤:日本独自の「BONIA」でもいいと思うんですよ。向こうとかも一部上場で大きくって色んなことをしてますけど、日本人が好きな「BONIA」っていうものを打ち立てていってもいいのかなって思います。

三澤:皆さんとなら、やっていけると思う!美佐世さんとエスエスチャン、ミス・ウオンさんとで。もちろん大西時計店さんともこ。れからもよろしくお願いします。

― お話を伺わせていただきありがとうございました。

「BONIA」のこれからの日本での展開、そして「BONIA」&三澤滿江子というシリーズの展開も見えてきてわくわくしました。「COCCO FIORE」の三澤からBONIAへの飛躍をも感じました。きっと職人だからこそニーズに応えていこうという共通点が今後の佐藤様の活躍、大西時計店さんの銀座ショールームの拡がりにつながると確信しました。今日は、本当にありがとうございました。

 

三澤滿江子(みさわみえこ)
ジャングルマァム代表取締役
女子美術短期大学グラフィックデザイン科卒/アートディレクター

広告代理店・デザインプロダクションを経て、1991年に有限会社ジャングルマァムを設立。ニューヨーク・イギリスなどで、アートポスターの個展開催、2004年4月より株式会社QVC ジャパンブランド「COCCO FIORE」のアートディレクターとしてテレビ出演すると共に、CI・ロゴなどもデザイン。ブランド「Amulet-S」「LAMOM DICLASSIS」のトータルアートディレクションなどを手掛ける。テキーラマエストロの資格をもち、2015年より自社ブランド「カリーノ ミオ」オーガニック ブルーアガベシロップの発売をスタート。
2024年6月より「BONIA」ジャパンディレクターに就任。
「BONIA」https://bonia-ginza.jp/

佐藤 美佐世(さとうみさよ)
DNA Venchers Sdn Bhd 代表取締役in Malaysia,
株式会社DNAstar 代表取締役in JAPAN

コーセー化粧品で海外派遣中、ヘッドハンティングされマレーシアへ。ヤオハンのバイヤーとして世界中を回り、ボルネオ島で5店舗の百貨店を立ち上げ、成功に導く。
その後、マレーシアで事業を立ち上げ、「BONIA」の日本総輸入元となり、ルミネを含む多くの店舗を展開。QVCや民放TVでも出演販売を行う。
マレーシアのバジャヤグループのコスメ店舗の運営を任され、日本企業への指導も行う。肉骨茶レストランの立ち上げや、「ハラールコンサルティング」の日本窓口として活動。
「Papappan」ショップを東京に立ち上げ成功させ、ボルネオ島の天然ゴム枕を日本に輸出。
もったいないボランティアプロジェクトで、マレーシアのイオンビッグ本社ビルにMVP関連の店舗を出店。

株式会社大西時計店
1946年創業 78周年
『BONIA販売店』として13年の実績。
BONIA本社からの直接卸売販売を公認された『日本で唯一のBONIA正規取扱店』。
2024年6月東京銀座に公式フラッグシップオープン。
大西時計店
https://www.bijou-onishi.co.jp/company/