話題の新刊『小さな会社で大きく稼ぐ!最強のビジネスモデル』発売

悩み⇒言語化⇒思考⇒実行⇒現実を変えられる。福山敦士の仕事術

悩み⇒言語化⇒思考⇒実行⇒現実を変えられる。福山敦士の仕事術

スタートアップ経営者・上場企業の人事本部長・大学院講師。三刀流で活躍する福山さん。学生時代は甲子園球児。25歳で大手インターネット企業のグループ会社取締役に就任。独立後2年で2度のM&A。29歳という若さで結果を出し続けている、株式会社レーザービーム代表取締役社長、福山敦士(ふくやまあつし)さんに、その明確なビジョンや想いの源がどこからきているのか、とことん聞き取らせていただきます。

インターネット×おもてなしでクライアントの課題を解決する

ー 現在どのような取り組みをされているのか教えてください。

大きく3つのことをしています。まず「レーザービーム」の代表として人材教育関連のビジネスをやっております。もうひとつが、ショーケース・ティービーという会社で人事本部長を務めています。今年から大学院での講師業もスタートしました。個人ではビジネス書を執筆しております。

ー レーザービームは主にどんなことをされている会社なんですか。

「学問をつくる」というビジョンの基に、人材関連の事業を行っております。クラウドソーシングと学習コンテンツ開発という2つの事業を主にやっています。クラウドソーシング事業は昨年末にショーケース・ティービーに譲渡して、そのタイミングで今年の1月から事業も見つつ人事もみるという形で関わっています。

ー ショーケース・ティービーがされている事業とは?

「豊かなネット社会を創る」という理念のもと、複数の事業を展開しております。具体的にはWebマーケティング、Webソリューション事業です。「インターネット×おもてなし」という観点で「接客」に関するサービスを多数展開し、2015年マザーズ上場、2016年東証一部上場を果たした成長企業です。

Webマーケティングというのは大きく分けて3つの段階に分けられます。集客・接客・追客。集客は広告代理店が得意な部分。接客は、たくさんひとを集め、集まった人がお店や、webの場合はサイト上で商品を購入したり、会員登録したりする部分です。実はここでの離脱ってすごく多いのです。ご経験あると思うんですけど、登録フォームに入力することが結構たくさんあって、「めんどくさいな。後にしよう」みたいな。

せっかく何千、何億円と広告費をかけて集めた人が離脱してしまうのはもったいない。そこに対してエントリーフォームを最適化する、というサービスを展開しております。半角を全角に自動で直してくれたりとか、免許証を撮影するとその情報が自動的にフォームに入力されるとか。

ー それ便利ですね!そういうのがあればスムーズに登録してくれそう。

それによって、登録率があがって、購入までスムーズにいきます。そういったいわゆる「おもてなし」の精神をインターネットで実現することに命をかけている会社です。それで、最後の追客っていうのはいわゆる「リターゲティング広告」ですね。ひたすら不動産の広告がでたり、ダイエット商品がいっぱいでてきたり、追い回されるような感じ。

エントリーフォームで離脱したユーザーデータを広告に活用すると、めちゃくちゃ獲得効率が良くて。そういった部分は他社にはマネできない、独自の強みとなっております。

ー まさにクライアントのかゆいところに手が届くツールを作ってらっしゃるんですね。

また、それぞれの技術に対して、特許を保有しているので、参入障壁が高くなっています。非常に安定性の高い会社です。一方で安定しすぎて、挑戦するひとが減ってしまったので、挑戦人材を採用し、中から挑戦の事例を作っていこうというところを人事部長として手がけております。具体的にはグループ会社を作るとか、新規事業を作るなどを行い、事業と人材育成をセットで行うことですね。

過去の経験すべてを次にいかしていく

ー そういった新しいものを生み出す発想っていうのは、サイバーエージェントに勤めてらっしゃったご経験や、これまで学んだものや感じ取ったものっていうのが生かされているんですか。

そうですね。前の会社だけでなく、野球で培ったことも含めてだと僕は思っています。僕の最初の挫折は、野球でプロになれなかったことで。甲子園のときですね。田中まーくん(田中将大選手)と同い年で。当時はハンカチ世代って言われてましたが(笑)その年って、プロの野球選手がすごく多くて、巨人の坂本くん(坂本勇人選手)とか、マエケン(前田健太)選手もそうですね。

僕もピッチャーだったんですけど、同じ選抜甲子園の一個前の試合で田中まーくんが140キロのスライダーを投げて、「あ、無理だ」と思って。現実を知るというか。野球でプロは諦めようと思ったんです。

ー 野球でそういう挫折があって、そのなかでどういった気づきがあったんですか。

幸い僕は小中高大すべて全国大会に出場しています。小学校はベスト4、中学校は春の全国大会、夏はジャイアンツカップという中学野球の全国大会で優勝。高校は45年ぶりの甲子園出場ベスト8、大学は57年ぶりの全日本大会出場ベスト8でした。

特に、小学校・中学校と同じチームからプロ野球選手が二人出ていますし、非常にレベルが高い環境でやらせてもらっていました。常に日本一になるには、世界で戦うためには、という視点で物事を考えられていたことが財産になっています。高校野球ってどこの高校もそれなりに練習きついと思うんですけど、「日本一」を目指した練習、「全国大会出場」を目指した練習、「県大会ベスト8」を目指した練習って、練習内容そのものや、やっていることは変わらないのに、得られるエッセンスが全然で違ってくるな、と感じます。

それで大学では準硬式野球部という、硬式じゃない、弱いチームの監督業(学生コーチという役職を自分で作って)をやりました。優勝経験からは27年間遠ざかっていて、57年間全日本大会に出場していなかったチームを立て直して、優勝させ全日本大会に出場させる経験ができて、これがすごく成功体験になりました。

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ー なかなかできることじゃないですよね。

「いやいや日本一ってなんですか」ってやっぱり最初は言われましたね。それまでは六大学でAクラスを目指そうっていってやっていたので。そこに「日本一目指そう。そんなに難しいことじゃないぞ」って声をかけて。

その当時日本一だったチームと練習試合も組みました。練習試合組んだら1対0で負けたんですけど「こんなもんか」と思いました。選手たちもそれを目の当たりにしたので、「よしいける」っていう意識で練習が頑張れて。それで六大学リーグ戦で優勝して全国大会に出られて。結果はベスト8で終わっちゃったんですけど、その当時でいったら奇跡的快挙が生み出せたんです。

フィールドワークからオフィスワークに

ー 選手をしてらっしゃったのに、そこに自分の役目を見出せるってなんか、大人ですね

プロにならないと決めていたので、じゃあ、野球の経験を社会で生かすには、何がやれるか?って考えたときに「グラウンド以外でも通用する力を身につけよう」と考えました。

140km/hのボールを投げる力はオフィスでは通用しないけど、チームを強くすることや、目標を持ってそれを達成すること自体は、グラウンド以外でもユニフォームを脱いでも十分通用すると考えました。そのためにできることは「チームを強くすること、誰もが納得する成果を出すこと」だと考えました。そこから自分がピッチャーとして投げておさえて勝つのではなくて、自分が一歩引いてチーム全体の力を引き上げた方が、勝つ確率は高まると思いました。

親父はバブル絶頂期に独立しました。その後、わかりやすく失敗しました。その後、両親は離婚しました。僕が高校生の頃でした。親とは仲良かったんですけど、母も必死で働いてくれて、兄貴も大学辞めて働いてくれて、高校の学費をまかなってくれてたので、自分たこのまま生きていっていいのか、すごく不安になりました。

母親が働き過ぎで駅で倒れたことがあり、そのタイミングで僕も大学辞めて働こうと思いました。しかし、「母親を理由で野球も学校も辞められるのはつらい」と言われたので、じゃあせっかくやらせてもらえるんだったら、社会人になったら爆発的に稼げる自分になろうと決めました。その中で野球を続けられるのであれば、ただ野球をやるのではなく、何か掴みとろうと考え、チームを率いて成果を出すプロセスは社会に出ても通用するはずと思い、学生コーチをやる決断をしました。

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スタートダッシュは一緒じゃない

- そういった強い思いが軸にあって、経営者へ向かっていくきっかけが生まれたわけですね。

はい。なので就職活動もせず、本当は起業したかったんですが、野球しかしてこなかったので、ビジネスのつくりかたがわからなくて。じゃあ起業ができそうな環境に絞ろうと決めて4社だけ受けました。サイバーエージェント、ガイアックス、Sansan、フューチャーアーキテクト。周りが総合商社、メガバンク、テレビ局、広告代理店、大手メーカーを受ける中、僕の場合は目的が明確だったので、それらの会社にはエントリーせず、ベンチャー企業だけ受けました。

いくつかあったベンチャー企業の中でサイバーエージェントが、面接で「社長になりたいです」っていう話をしたら「なれるよ。いいねえ。俺も社長だしね」って言ってくれたんです。グループ会社の社長さんがいっぱいいたので、僕もなれるかもって思って、それでそこに決めて入りました。

野球部を4年生までやっていたんですけど、週1のオフは働きに行かせてもらってました。野球引退したら週4回。スタートが早かったので、グループ会社の立ち上げに内定時代から関わらせてもらって、入社の時には、すでにお客さんをもっているっていう状態になりました。そんなアドバンテージもあり、1年目からトップギアで働くことができました。

ー 周りと頭一つ違うスタートですね。

そうでしたね。サイバーエージェントの共通言語で「スタートダッシュは一緒じゃない」っていう言葉があるんです。スタートは4月から、ではなく、早く始めようと思ったら始められるんだって思ってそのときも始めてましたね。

そういう意識はビジネスのなかですごく大事な考え方だなと思っています。自分で決められるひとになるというか。早く偉くなったほうが仕事は面白くなるんですよ。だから今採用する側になって、人事として同じようなメッセージはやっぱり伝えるようにしてますね。早く偉くなって一緒に面白い仕事しようって。

日本を進化させるために教育を学問という切り口で変えたい

- スタートアップの経営者や人事部長といったビジネスの顔以外に、大学院で教えてもいらっしゃるということですが。

名刺の裏にも書いたんですけれども、「学問をつくる」ということを一生の仕事にしていこうと思っています。国語数学理科社会に並ぶ、学問を作りたいなと思っています。それを今の段階では「営業」に狙いを定めてやっています。

連立方程式とかはたくさん勉強したけど、社会に出て使わない。多分今後も使うことはない。それよりかは自己紹介をするとか、相手の話を聞くとか、いわゆる営業の動作っていうのは社会にでてから使いまくる。営業職でなくても。

でもそういうことって、学校では学ばないから、みんな社会人1年目で大活躍することがなかなかできない。であれば、社会で求められる力から逆算した科目をカリキュラムに組み込めばすれば、それを学んだ子が社会にでて活躍するということがもう少しスムーズになるのかなと思ってます。

ー それで、学問という切り口で。

はい。「教育を変えたい」。ただこれをビジネスで変えるのは結構難しい。それで、あえて「学問」だと。文部科学省を変えに行こうと思って。それで大学院で授業を持ち、実績を作って、文科省に認定を取りにいくっていうのをここ2年やっています。それで大学院でやっていることを、大学、高校って順におとしていけると、学問を変えられるかなと。現在のカリキュラムは、今の時代にアジャストしてないなと思ってるんです。

教育は目的ではなく手段です。古くは戦争で勝つための準備としての教育が成り立っていた時代がありました。日清戰争の時代です。命令を聞くための国語、鉄砲の玉の数を数えるための算数、長期間戦い続けるための体育、この3つを徹底した結果、日本は清の国に勝ちました。清の国から多額の賠償金を得て、富岡製糸場を作り、そこから日本に産業革命が起こった、というエピソードがあります。産業革命後、教育自体も産業化されてしまい、手段だった教育が目的になると、教育ビジネスが成長してしまい、そこに偏差値が作られ、ランキング化され、受験のための教育という方向に進化を遂げてしまいました。就職活動も同じような形になってしまったと思います。

では学歴が高い人たちが社会で活躍しているかっていうと100%そうとは言い切れないし、その逆も多く存在しているという事実に、みんな気づいてるけど、後手に回っている。その結果、日本の国際競争力はかつての立ち位置を他国に奪われてしまっています。その問題に気付いてしまったので、死ぬ前に真正面に向き合うことをしていこうと思いました。

背中と言葉

ー 完全に教育業界に入るという道は選ばれなかったんですか。

大学教授という道を志した時期がありました。ただ、知れば知るほど時間のかかる道であることに絶望しました。また、大学のシステムの中に入ると、そこで偉くならないと影響力が出せない一方、偉くなるためには丸くならないといけない(自分の意見を押し殺すこと)という矛盾に気付きました。革命を起こすためには、外の世界で最短で実力と実績を作る方が合理的だと考え、ビジネスの世界を選択しました。

学問というと、確かに通常教育業界に行くのが一般的かもしれません。が、ビジネスを教育にするんだったら、自分がビジネスで成果を出せていないと、説得力がないと考えています。「昔、すごかったんだぞ」は、若者からすればどうでもいいです。今、ご老人の方が人口の割合として増えているので、相対的に過去すごかったご老人の価値は下がっています。いつまでも若い人に席を譲らないご老人が散見されます。

僕はイチローさんのような現役のひとが好きです。今世界で一番ヒットを放っていて、かつ現役で第一線で戦い続けている人の言葉が、ひとの心を動かすと思っています。レーザービームっていう社名もイチローさんから頂きました。。「日本から世界へ」「不可能を可能にする」というメッセージとしてもあります。スピード感もありますしね。スピードはビジネスで一番大事にと思ってるので、そんな思いを込めてレーザービームっていう社名にしました。

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自分の年表からみて、いま自分がどこに立っているかを考える

ー その確固としたビジョンというのは、また年代の話になってしまうんですけど、その若さで進めていけるっていう方はなかなかいないと思うんですよ。その明確さ、実行力の背景っていうのはなんなんでしょうか。

いろいろあると思うんですが、ひとつは寿命ですね。親父が62歳、祖父が60歳で亡くなっていたので、もしかして俺も60かなって思ったときに、最後の5、6年はあまり体動かないかなと考えると、残り半分だ、結構急がないとなと思ったんです。元々起業はしたかったんですが、そのタイミングが一番転機になって。4年前、独立しましたね。

相対的には若いかもしれないですけど60までって思ったら、今の年齢って、おじさんと変わらない。先手先手を打たなきゃって。それでだんだん思考がスマートになっていったというのはある思います。

悩み⇒言語化⇒思考⇒実行⇒現実を変えられる

ー 話の端々から、これまでご経験されたひとつひとつから確かな学びを得ているなと感じるんですけども、そのいろいろな学びっていうのをどういった形で自分の中に取り込んでいるんですか。

これは構造的に理解している部分があって、大学時代に認知行動を勉強していたんですね。考えることと、感じること、行動。これは人間の認知活動で使われている要素で。これをひとつひとつ、メタ認知っていって、どう考えたかを考える、どう感じたかを考える、どう行動したかを振り返るっていうのをやってきました。どう振り返るかっていうと、シンプルに、言語化なんですね。何を考えたかっていうのを、頭で考えるんではなく、言葉にする。みんな結構やってないんですよね。

福山敦士4

常に結果は出し続けないと「ダサい」

ー わかったと思ってもやっていないですね。思考やイメージを言語化するって。

うん、そうですよね。僕がブログを始めたのも実はこれがきっかけで。言葉にしないと、せっかくすごくいい経験してるのにもったいないんですよ。それでひたすら学生時代から、悔しかったこととか、違和感とか、もどかしさとか。具体例でいうと、なぜ早稲田に負けたのかとか。そういうなんでなのかっていうのをしっかり考えないと、もう一回戦って負けたら、ダサいなって。小学校のときから実はそういう風に思っていました。

全国大会に出てベスト4すごいねってチヤホヤされたときに、焦ったんですね。これで中学校のとき結果出せなかったらださいなって。で、次に中学校春の大会全国優勝したときに、そのときはもちろん泣いて喜んだんですけど、これ夏も優勝しないとダサいなって思いました。その焦りもあって夏も全国大会で優勝できました。

当時はもちろんこういう言葉として認識はできてなかったんですけど、再現性にすごく執着するようになったんですね。同じことできなかったらださいって。高校2年生で甲子園に出た時も、3年になって出てなかったらマジでださいと思ったから、甲子園の土は持って帰らなかったですね。これで終わるのが怖かったから。

成果を可視化する

ー 学生の頃にそういう感覚持っているひと、周りにいなかったんじゃないですか。

まあそうですね、学生の頃周りにはいなかったですね。それで、大学を卒業してサイバーエージェントに入った時も、「学生時代に野球頑張ってました」、社会人になった途端に結果出ないってなったら、これはまたダサいなと思って。とにかく結果は出し続けないとダサいなって。たぶんそういう性格なんでしょうけども。

成果を基軸にいろいろと考えちゃうタイプなんで、成果を全部可視化しようと思って、直近の目標とかは壁紙にして追いかけ続けるというか、可視化して追いかけ続けるっていうことをやってますね。なので結論としては言語化、っていうことをやってます。これが成果の出し方のコツです。

具体例が伴うと「自分ごと」として得やすい

― 大学院で講師されてると、学生さんにものすごく人気ありそうですね。届く、というか。

どうですかね(笑)。机上の空論にはならないようにしています。必ず具体例とセットで話す。ひとはどう感じてどう認識するかっていうときに、頭の話と体の話ってあると思っているので。なるべく体験があったほうが自分のもの化しやすいので、体験を伴う、つまり具体例とセットで話をすることを気を付けてはいます。

「知る」と「できる」には乖離がある

- 6月に新刊「『成功する人は1年で成果を出してくる!〜やらなくていいことの選び方」が出るんですよね。

はい。どこから読み始めてもらってもわかるような本にしています。みんな忙しいから、本を読むって結構大変なことなので。結局10万字とか書いても、一文ひっかかればいいなと思っていますしね。僕も『至高の営業』っていう本を読んで人生が変わったなと思っているんです。

その本には「営業とは、ものを売ることではなく、足を運ぶことなんだ」ということが書かれていて「え?」って最初は思ったんですけど、とりあえずやってみようと思って。お客様のところに何の用もないんだけど、とりあえずいってみるっていうのを繰り返したときに、「ああここで話題をつくらないといけないんだ」とか自分が持っている物のことを話すんじゃなくて、「お客さん何か困ってませんか」っていうことを自然と聞けたときに、これだ!って思えたんですよね。

その一文を信じ切ってひたすらやれたか、っていうのがすごく大事だなと思います。そうすると、今度書く立場になったときに、本っていう体を成すために10万字書いてはいるんですけど、何か心に刺さる一文をひろってもらえればいいかなと思って。それで、ひろいやすい構造を考えたときにこういう構成の本をつくりました。

ー ひたすら信じ切ってやるって大事ですね。知っているふりをしないというか。

そうですそうです。知っているっていうことと、その知っていることを実際にやれている、っていうことは違うぞっていうことを伝えたくて。

若い力で、日本を突き上げよう

ー これから何かしてみようという若いひとたちへのメッセージや、ご自身の今後の展望等、お聞かせください。

若い力で日本を元気にしましょうってことです。若いっていうのは20代っていうことではなく、気づいた今日が一番若いので、今日から頑張りましょうっていうのが一番のメッセージです。部活動なんかも1年生のスーパールーキーが入ってときが一番組織が活性化するんですよ。3年生にならなきゃ出れないっていうチームが一番勝てないチームで。

1年生が試合に出るから3年生にもいい刺激が生まれる。1年生も「オレたちもできるかも!」って思える。これは社会全体でもそうかなと思っていて。社会も20代、30代が1年生。20代が頑張らないと、上があぐらかいちゃう。それが30代、40代、50代も同じ構造になっていると思うんで。

若いひとがどんどん刺激を与える、成果を出していく、成功事例を出していくことが、日本を強くすると思います。結果的にそうなるんじゃないかなと思っていて。

若い力で世界を突き上げていく。そういう事例をいっぱいつくっていきましょう!

【略歴】
福山敦士(ふくやまあつし)
慶應義塾大学環境情報学部を卒業。
新卒でサイバーエージェントに入社後、1年目からグループ会社の起ち上げに参画し、新人賞受賞。実行率を飛躍的にUPさせる画期的な「目標設定法」を編み出し、セールス記録を更新する。25歳でグループ会社の取締役に就任。営業部長を兼任し、3年で売り上げ10億円の達成に貢献する。27歳で独立し、株式会社レーザービーム代表取締役に就任。28歳で東証一部上場企業にM&Aにて事業譲渡。2年で2度のM&Aを実行。2018年から大学院にて講師を務める。株式会社ショーケース・ティービー人事本部長を兼任。学生時代は野球ひと筋。高校時代は甲子園ベスト8入りを果たしている。著書に『自分を動かす技術』『1年でトップ営業に駆け上がる54のリスト』『成功する人は1年で成果を出してくる』

福山敦士オフィシャルサイト
株式会社レーザービーム