QVCジャパン「COCCO FIORE」アートディレクター三澤滿江子さんの情熱に迫る!

QVCジャパンの大人気ブランド「COCCO FIORE」のアートディレクション・ゲストとして出演されている、有限会社ジャングルマァム代表取締役三澤滿江子(みさわみえこ)さん。三澤さんの経歴はまさに進化の連続。そのスピード感を引き出してきた行動力の秘密をとことん聞き取らせていただきました。

三澤滿江子

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グラフィックデザイナーからの歩み

― 現在のお仕事は?

QVCジャパンのオリジナルブランド「COCCO FIORE」ではイタリア製の革をつかったバッグや小物といった様々な商品を取り扱っているんですが、QVCジャパンというショッピングサイトでそのディレクションをしています。

― 原点はデザイナーをされていらっしゃったんですよね。

元々はグラフィックデザイナーだったんですけれども、マッキントッシュ(以下MAC)が現れて、みんな機械でできるようになったというのが一つの転機だったと思います。

三澤満江子

デザインは先生からみて真似ぶ(まなぶ)

デザインを志すというのは、私たちの時代は、それこそ丁稚奉公みたいな感じで生活全体がデザインのためにあって、先生の下で衣食住を共にして、その先生のやり方をぬすむ、学ぶということが当たり前だったんですよね。本当に24時間、変な話、先生が終電間際に「今日はシンデレラね」とおっしゃらないと帰れないんですよ。

― そういう意味でのシンデレラなんですね(笑)

今日はその言葉がないってなると、ああ徹夜か…という感じで。

物創りを学んだデザイナー時代

今となっては信じられないことでしょうけれど、写植というものが昔はありまして、それを切って貼って版下というのを作成して印刷入稿でした。綺麗に打ってある写植文字というものがありますよね。それをピンセットでばらして組み重ねる。例えば「ありがとう」という言葉、ちょっと「あ」と「り」の空間が美しくないということで、切り貼りということもしていました。

だから写真も今では、MACとかを使って簡単にトリミングができちゃいますけど、当時はポジをプロジェクターでそのポスターの大きさ、チラシの大きさに投影して、一番綺麗なものを黒枠で切っていった。いわゆる物創りみたいな世界だったんですよね。

デザイナーっていうと華やかなイメージをお持ちの方が多いかもしれないけど、かなり厳しくて地道な部分も大きかった。
紙焼き機というのがあるときには、暗室の中で何日も徹夜で夜中眠くて、紙焼き機の前で立ち寝しちゃいましたから…(笑)

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デザイン=空間の美

― 紙焼き機というのは?

ロゴとかをデザインする時に、大きな写真機みたいなものでその手書きのロゴの写真を撮るという作業です。全部手書きだったんですよね。今はみんな機械で出来ちゃうんですけどね。何回も写真で撮ったものに墨入れして完全なものにデザインをしていく。

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こういう手で作るということを繰り返し叩き込まれてきたことで、私の中にはデザインというのはイコール「空間の美」なんだという意識みたいなものが深く刻まれています。

入選でチャンスを掴む

― その後キャリアとしてアートディレクターという立場に変わっていくのですか?

そうですね。アートディレクターというのは、指針を決める人ですね。どういう方向性にするのか、どんなポスターにするのかとか。そのスタッフに作り手となるデザイナー・カメラマン・コピーライターがいるようなイメージ。

その当時、カメラマンと組んで写真をプロジェクターで合成するといったアートグラフィックの作品も作って、活動もしていたのですが、それがニューヨーク・アートディレクターズクラブというところに、私の作品が入選しまして。

― 素晴らしいことですよね!当時はどんなお気持ちになりましたか。

連絡を受けたときに、ちょうど徹夜で仕事をしていたところだったので、それはもう言葉にならないくらい嬉しかったです。
普通入選くらいだったらみなさんそのまま放っておくのでしょうけど、私の場合何をやるにも命かけて一生懸命やるので本当に喜びました。当時はもう独立してましたが、一緒に作品創りに協力してくれたカメラマン、友人、みんなに話したら、「一緒に見に行く」と言ってくれて、ニューヨークのその受賞パーティーに行ってしまったんですよ。

そこでご縁がありました。ニューヨークで活躍する日本のアーティストを取り仕切るトップの方とお会いする機会に恵まれまして、本当に偶然なんですけど、「一週間ギャラリー空いてるから、個展やってみない?」と言われました。

三澤滿江子

― プロフィール拝見したときに、賞をとられたあとにすぐ個展を開いてらっしゃったので、すごい!と思っていたんですよ。

ありえないでしょう、普通。無名のたかだか入選しただけのアーティスト、有名な人しかできないニューヨークのADCギャラリーで個展を開くなんて。なので即答で、「やります!」と答えました。別にスポンサーがいたわけでもなかったのですが、やるってもう決めちゃったから、後はもうやるしかないですよね。

恵まれた人のご縁を活かしきる

― お話し伺っていると、引き寄せる力だけでなくそれを掴む行動力をお持ちですね。

総合的に、今までの私の人生は本当に人のご縁に恵まれているなと感じます。この時も、周りにいる方や友人に恵まれて、みんなの手助けがないとできなかったんですけど、本当にこんな私に共鳴してくれて、いろんな人が関わってくれました。みんなで良いものを創ろうって。それでその素晴らしいギャラリーで個展ができたんですよね。今思うと我ながらすごいなと思いますね(笑)

ただこの話には笑い話もありまして。当時、大手D印刷さんとお仕事をしていて、印刷はすべてお任せしていたんですね。先ほどもお話しした通り、今みたいにすべてデジタルじゃなかったので、刷り師という方がいました。例えば「ここはもう少し赤くして」などの希望を伝えると、そういう風にしてくれるという方が。ただの印刷ではなく芸術の領域ですよ!

それでポスターを仕上げていったのですが、あとで来た請求書をみると、印刷代300万円。これどうするの?!ってなりました(笑)

会社経営をしている先輩方に、日本政策金融公庫(旧国民生活金融公庫)というのがあると教えてもらいまして、そこに相談に行きました。当たり前ですが、そこはお仕事の運営のためだけにお金を貸すので、「ポスターの印刷代のためなんかにお金なんか貸せません」と言われて。「いや、私これで有名になるので貸してください」と何度も何度も交渉いたしましたが、もちろん埒が明かず…

その後、私の出身が女子美なんですけど、そちらでお世話になった講師の先生が大手広告制作会社の社長もやられてた方なんですが、この方が連帯保証人になってくださって、お金をつくることができました。やっぱり人に恵まれているなあと本当に感謝してします。先生とはその後、今もずっとお付き合いさせていただいております。

経験はお金以上の価値

― その300万という支出は、いま振り返るとどうですか?

本当にお金以上の価値でしたよね。今はそのニューヨークアートディレクターズでは、展覧会ができなくなってしまいました。だから私が、日本人では(そこで展覧会をさせてもらえた)最後ですね。

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それでそこで偶然みてくださったディレクターの方が、イギリスでイギリス・エジンバラインターナショナルアートフェスティバルというのがあるから出してみないか、と声をかけてくださって。これももちろん「はい」と即答してお受けしました。

― その時はどういった作品を出されていたのですか?

カメラマンと組んでやるという形で、写真の構成がメインですね。それをエジンバラの個展に出展させていただいていました。…という風に、アートとグラフィックデザインの両方を展開してましたが、その後、グラフィックデザインだけを仕事にしていくには大変な時代が到来しまして。

ディレクション・デビュー

― 先ほどお話しのあった、アップルコンピュータのマッキントッシュ(MAC)の登場ですか?

そうです。その後またこれもご縁がたまたまあり、バッグメーカーの女性社長をご紹介していただいて、「自分のところのディレクションをやってくれないか」とご依頼をいただいたことがきっかけで、自分でバッグのデザインの勉強をするようになりました。

そして、その社長様はイタリアにも小さなアトリエがあってブランドを手掛けてらっしゃったんですが、このブランドを再生させたいというのがその方の数十年来の夢で。その再生を私が任されました。そこから私のイタリアとの付き合いが始まりましたね。20数年前になります。

コッコペルラの革

それでイタリアのいろいろなアトリエをまわって出会ったのが、今のQVCジャパン様の「コッコペルラ」という革。その革に出会って、美しくてびっくりしたんです。そして自分でバッグのデザインをして作っていただいて、持っていました。

三澤満江子

その当時はまだQVCジャパン様はできたばかりでした。創設当時からお世話になっていることもあり、また私自身も「コッコペルラ」を使ったバッグを使っていることもあって、「あなたが一番よくわかっているでしょ」ということでテレビに出演して、しゃべることになりました。それが今のディレクションという形になっています。でもすごいですよね、16年間もひとつのマテリアルでやっているって。

チャンスには飛び込む

― 本当にそうですね。今お持ちのものがそうですか?

これは「コッコドラード」といって、「コッコペルラ」の会社、コリペル社というところと出会ってそこが新しく開発したものです。一目惚れしまして、自分のブランドを立ち上げました。一度はまってしまうとそれに対してのめりこむタイプなので、試行錯誤、それこそ失敗の繰り返しですね。とにかく何も考えずいただいたチャンスには飛び込む!という感じでやってきて、まあなんとかなっていますね。不思議ですが(笑)

― のめりこむタイプということですが、バッグ以外のことで夢中なこともおありですか?

テキーラマエストロという資格をとりまして、その活動もやっています。

― テキーラマエストロとは?

テキーラってどんなお酒かご存じですか?原材料はなんなのか。みなさん「サボテン」とおっしゃるんですけど、サボテンではなくて。アガベ・アスールというリュウゼツランの一種なんですね。それでテキーラ村というテキーラ5州があるんですけどそこで栽培して作ったもの以外、テキーラと呼んではいけないんです。原産地呼称のお酒です。

きっかけはある会で、日本テキーラ協会の会長にお会いして、彼のテキーラに対する熱い思いを伺って感化された感じなんですが、本物のテキーラというのは本当にものすごく素晴らしいお酒ですし、美味しいんですよ。なので皆さんにテキーラの美味しさを知っていただくために活動しています。

例えば向島の料亭にもご縁があってよくお邪魔していたんですが、その料亭の女将さんが辞められて、2代目が男性の方になりました。その方にテキーラの話をしたら、すごく感動されて。

料亭で日本初のテキーラの会というのを企画しやったのですね。メキシコ大使館か公使ご夫妻もお招きいたしまして、向島初の試みということで話題になったんですけれども、その後、料亭の女将さんもテキーラマエストロを取得なさったんです。今後もテキーラマエストロとしてテキーラを広める活動もしていきます。

良いという確信、好きという思いをブラさない

― いろんなタイミングでご縁ができたり、助けられたりといったご経験をされていらっしゃいますけど、“引き寄せ力”をお持ちなのでしょうか?

わかんないんですけどね。でもそうですね、先ほどもちらっとお話しした通り、私基本的に考えないで行ってしまうんです。考えるより先に体が動くというか。だからその分、失敗も多々ありますけど、自分が好きだと思ったものは好きだし、自分がいいと思ったものはブレていないので。行動している分、出会わせていただいているというか、チャンスをいただいているという感じなんじゃないでしょうかね。

三澤満江子

人生は情熱

― デザイナーを志す人はもちろんたくさんいると思うのですが、なかなかそれ1本で仕事にしていくというのは難しいこともあると思います。会社を24期というステージまでひっぱっていらっしゃった三澤さんからアドバイスがあればぜひお聞かせください。

めげないことじゃないですか。さっきからおんなじことしか言っていない気がするんですけど(笑)。私は失敗も、崖っぷちも、もうだめだっていう究極のときでも、めげなかった。そうすると必ずどこからか、何かが、誰かがでてきてくれていたので、そうやってご縁に巡り合えることは、めげずにひたすらやってきたからというのもあると思うんですよ。

私の大好きな言葉、レニ・リ−ファンシュタール女史の「人生は情熱です。」これは常にあります。やっぱりデザイナーになりたい思うよとうな方は、そういう力を与えられて生まれてきていると思うのでそれは活かしていかないと失礼かなと思いますよ、天に対してね。

今はこういうタイミングだと受け入れることも大切

― 最悪な時、どん底の時の切り抜け方があれば教えてください。

落ち込む時は落ち込むことかな。最悪な時は最悪でいい。今はそういう時節なんだと受け入れる以外ないもんね(笑)良寛様もおっしゃってます「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候。」と、でもそんな時でも今の自分にできる事をする、人に対しても今は迷惑をおかけしているかもしれないけど、その中でも最善・誠意を尽くす、自分に対しても人に対しても逃げない、嘘をつかない。これは肝に銘じてきたかな。

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― これからの展望はありますか?

美大に行く前に予備校というのに通っていたんですね。私はお茶の水美術学院だったんですが、今度お茶美展というのをやるということで、大好きなジョージアオキーフみたいな絵を描いてみたくなって、少しずつ描き始めています。仕事しながらですけど、アーティストとして個展みたいなものもやっていきたいなというのが今後の目標ですね。

デジタル化できないものもある

― 今どんどんデジタル化をしていっていますよね。だからこそ逆に、手で描くとか手で作るということの価値やよさが見直されているのかなと思います。

本当にそうですね。SNSというのがいま全盛期ですけど、私はとにかく、行って会う、行って話すということをやっぱり大事にしたくて。私は現在いただくお仕事の要所要所に知り合いの存在があるんですね。何か相談を持ちかけると私とやりたいという風に思ってくださって、また繋がってという感じなので、ありがたい事ですが、そういう出会いに恵まれているから、リアルな出会いというかコミュニケーションがとても重要だと思っています。

全部の経験が必ず活きていく

手づくりという部分で言うなら、古い時代を生きて厳しい経験をしたけれど、私は得だったなと思ったのは、手作業が多かったから、ロゴマークも自分で作れるし、パッケージも作れますし、バッグの勉強もしていたから作れる。つまり、物を創るという基本の動作がすべて自分でできるんですね。それが色々なタイミングで役に立ちました。

下積み時代というのは、これ意味があるのかな、ということも多いと思うけれど、ひとつひとつを大切にしていけば、無駄なものは何もないと思いますね。

ひとの心を動かすものを作る

― 物を創るとは三澤さんにとってなんでしょうか?

私の人生そのものですね。ですので、人に何かを「伝える、幸せになる」ものを創っていきたいと思っています。その私がディレクションするものが、その方々にとって「価値あるものか?」「幸せになれるものか?」「美しいものか?」ということを常に軸として持ちながら未開のものは勉強して、私にディレクションをやってほしいという声があれば何でもやっていきたいと思っています。

三澤満江子

【略歴】
三澤滿江子(みさわみえこ)
有限会社ジャングルマァム代表取締役
女子美術短期大学グラフィックデザイン科卒/アートディレクター

広告代理店・デザインプロダクションを経て、1991年に有限会社ジャングルマァムを設立。ニューヨーク・イギリスなどで、アートポスターの個展開催、2004年4月より株式会社QVC ジャパンブランド「COCCO FIORE」のアートディレクターとしてテレビ出演すると共に、CI・ロゴなどもデザイン。ブランド「Amulet-S」「LAMOM DICLASSIS」のトータルアートディレクションなどを手掛ける。テキーラマエストロの資格をもち、2015年より自社ブランド「カリーノ ミオ」オーガニック ブルーアガベシロップの発売をスタート。

有限会社ジャングルマァム